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謝れない!自分の非を認めない人の3つの心理・対処法【旦那・彼氏・部下・子供】

心理学
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誰がどう考えても原因がその人にあるのに、絶対に自分の非を認めない人っていますよね?

例えば、明らかに自分のわがままで浮気をしたり、ムダにお金を使ったり、自分に原因があってミスをしたり…どっからどう見てもその人が悪い、中には証拠も揃っているのにも関わらず、頑なに「自分は悪くない!」と主張する人。

よくあるのが、旦那さんやお付き合いをしている彼、部下などです。男性が多いですが、女性でもこういう人は居ます。

どう考えても筋の通らないトンチンカンな言動に、まともな人はストレスを感じます。こういうとき、彼らの頭の中ではが起こっているのでしょうか

こちらでは、自分の非を認められない人の心理の原因と対処法について、ご紹介していきます。

※子供の「謝らない」は少し毛色が違いますので、お子さんのことでお悩みの方は専用の項目までジャンプしてください。以下、成人していて非を認められない人についてご説明します。

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自分の非を認められない大人

結論から言えば、自分の非を認められない理由は、「強い罪悪感を感じているから」と「依存しているから」、そして「感情を抑制しているから」の3点が挙げられます。

それぞれ理由を解説していきます。

罪悪感を感じているから

まず、自分の非を認められない、謝れない人は、心に強い罪悪感を持っています。例えば、先ほどあげた例で、仕事上、その人のミスでトラブルが起こった場合を考えてみましょう。

どう考えても、その人が犯したミス。そんなことは火を見るより明らかなのに、「すみません」「自分が悪かったです」と言えない。

「自分は悪くない」とか「お前のせいだ」など責任転嫁をして、自分に原因があることを認められません。

こう言った態度の根っこには、相手が心の底では「誰よりも自分が悪い」と思っていると言う心理が隠れています。

この人たちは、本当は自分に問題があり、自分が原因で色々なトラブルが起こっていることを理解しています。しかし、それを認めてしまうと、こうなったのは完全に自分が原因、自分が悪いことになります。そしてそれに向き合う必要が出てきます。

この罪悪感は、今現在起きていることに対してだけではありません。幼い頃から感じてきた大量の、凄まじい量の罪悪感です。

ただでさえ、(自分が悪かったかも…自分に原因があるかも?)と心の中でこっそり思っており、自己否定をしているのに、それを認めるとその苦しみが凄まじい量で襲ってくることになります。彼らはそれが耐えられないのです。

心が弱く、分離思考(恐れや恐怖)が強いので、ありのまま現実を受け止めるということが出来ません。本当の自分や、本当の感情を見たくない彼らは、「そんな量の罪悪感を持てない!」と、その現実拒否します。

そして人にせいにすることで、自分へ雪崩のように襲いかかってくる罪悪感を堰き止めているのです。

また、恐怖心が強い彼らは、自分が行ったことに対する罪を認めることで、今後、あなたや周りに強く出られなくなることを恐れています。それは、自分の立場や権威を失うことでもありますし、自分が負けることを意味しています。

恐らくこれを読んでいて、そういった人に困っている方々は、「別に相手が謝ったら(自分の気持ちを分かってくれたら)それで終わりで、それ以上責めたりしない」と思っていると思います。

しかし、彼らは深い部分で自分に問題があることを知っており、一度でも弱いところを見せると、自分は周りに支配されるしかなくなると思っているのです。他者をコントロールするためのリーダーシップを発揮出来なくなるので、今後自分がどう扱われるのか分からず、怖いのです。

だからこそ、こういうタイプは普段無駄に偉そうだったり、威張っていたりします。それは精神が非常に弱く、自分の弱い部分を受け入れる強さがないからです。

彼らは「完璧でないと生きていけない」と本気で思っていますが、人間どうしても完璧にはなれないので、威張って相手を萎縮させたり過度な自己アピールをすることで、相手に無理矢理「自分は強く、能力があり、完璧なのだ」と思わせるように仕向けているのです。

モラハラ・パワハラは、まさにこれで、他者の自分へ向ける心理をコントロールしようとしています。

誰かに「あなたのそういうところダメだよ」とでも指摘されようものなら、ショックで逆上して取り乱してしまうのです。正直周りにはとっくに本性がバレていますが、本人はバレてないと思い込んでひた隠しにしてきたので、驚いて防御体制をとっているわけですね。

まるで小学校に上がる前の子供が、口にチョコレートを目一杯つけて「僕は、君のチョコレートケーキなんか食べてない!!!」と言っているようです。

ここまでで色々とツッコミどころ満載ですが、こう思う根っこには自己愛の歪みがあります。自分像が歪んでおり、心の底では極度に自信がないのです。

普通、自分の非を認めることは、自分自身を否定されることとは別です。人間は完璧ではないので、「誰でも失敗は犯すもの」ですし、間違っているのは「行為そのものや、それに至るまでの考え方」であって、「その人自身」ではありません。「罪を憎んで人を憎まず」ってやつです。

これが自己愛が正常な人の考え方です。自分の良いところは良いと認め、自分の悪いところは気にはなるものの完璧じゃないところもまた自分だ、と受け入れることができ、出来ないことは他人に助けてもらうようにします。自分には得意なことも、不得意なところもあると知り、ただそういうものと自分を受け入れている状態です。

しかし、非を認められない人は、自分の欠点が絶対に許せません。何故なら、欠点があることは弱さを晒すことであり、弱みを見せると負ける、そして人に負けることは死と同じ意味を持っていると考えています。一生相手に気を遣って、罪悪感にまみれ、自分を責め、支配されて生きていかなくてはならない。

そうなったら、一生奴隷のようになって強く出れない。ですから、ありのままの自分を受け入れることは、何があっても絶対に出来ないわけです。

「他者からの指摘は自分への全否定」だと考えているこの人たちは、そんな事実を受け入れたら死んでしまうので、死んでしまうよりはいいと現実を見ることを拒否します。

例えば、浮気をしたご主人。証拠もあり、奥さんに「どう言うことなの!」と思いっきり詰められますが、口から出る言葉は「俺は悪くない!」「お前が悪い!」「浮気なんてしていない」など、支離滅裂な言葉ばかり。

この影にあるのは、「浮気を認めたら、一生奥さんに頭が上がらないことへの恐怖」と、「責められたくない気持ち」と、「自分の弱さを認めたくない」の3点です。

実際、浮気というのは片方の問題ではなく、当人たち2人の心、また関係性の問題であることが多いので、浮気をした方だけが悪いという考え方は真実からはズレています。しかし、結局自分にも問題があってそういう行動に走ったのですから、本人に問題があるというのはその通りなんですね。

心の底では、「浮気をした自分が悪い」「自分はどうしようもない」「ダメ人間だ」と思っているのですが、そんなことを認めたら、事あるごとに「あなた浮気したもんね?」と責められることになります。

そうすると自分の意見はろくに聞いてもらえず、周囲に支配されず生きていくことになるので、それは出来ない、だから受け入れないと言う姿勢をとります。

このような自信のなさが人間性の根本にありつつ、何か仕事などを通し、人より上手くいった経験を持っている人は自己像が肥大します。

根っこでは自信がないし自分が大嫌いなのに、一部優秀な部分を見つけそれが現実に現れると、自分が特別に素晴らしい人間になったかのように感じて傲慢な態度をとります。(そんな経験はなく、妄想の場合もあります。)

こういった人たちを、自己愛性パーソナリティ障害と呼びます。ありのままの自分を認識できず、自分が特別に優れていたり、劣っていたりするような気がするのです。自分を優れていると思っている人は他者を過剰に見下し、自分が劣っていると感じると、誰にも会わず引きこもったりするのです。

心の中に強烈な劣等感と罪悪感があり、それが強すぎて逆に認めることが出来ないのです。

依存しているから

彼らの欠点を受け入れられない原因に、「依存体質」と言うのがあります。

前項を読んでお分かりいただけたと思いますが、自己愛性パーソナリティ障害の人たちは、精神的に未熟で幼稚です。ほとんどの人が、精神年齢0〜7才程度でストップしています

自己愛性パーソナリティ障害は、愛着障害であり、幼い頃主に母親と適切な関係(一体化、分離)を結べなかったことが原因です。例えば、忙しくて放置されていたり、過干渉だったり、母親との接触が「普通」の範囲内にない場合です。

本人は記憶がないかもしれませんが、幼い頃、寂しくて強い孤独を感じていたり、自分の内側に踏み込まれすぎている、と言う不適切な距離感を最初の人間関係で経験してしまい、それをベースに生きているわけです。

こう言う人は、精神年齢(感情年齢)が成長していないので、その時のショックで心がうまく成長していません。だからこそ、まるで子供の言い訳のような発言をするのです。

彼らは、全く筋が通らず、まともな大人とは思えないような言動をしませんか?あれは、彼らが「自分が責められ否定される!」と過剰に反応し、防衛体制に入り幼児退行しているのです。

人間は、子供時代に愛着障害が起こり心がうまく成長できなくても、関係なく体は成長します。その中で、社会のルールや礼儀はなんとなく学ぶので、大人の振るまいはできます。

しかし、結局中身が0〜7歳くらいの子供なので、所詮子供が大人のマネをしているに過ぎません。赤ちゃんや幼児は大人に守ってもらわないと生きていけませんので、親や養育者に対して依存します。彼らの依存気質は、自分の精神がこの幼児期から成長できていないことが原因です。

ですから、「自分の非を認められないなんて子供」と思ったり、「中身は赤ちゃんと同じ」と思うこともありますが、実際に小さい子供が自分の非を認められずギャーギャー泣き喚いているのと同じ。

こちらが論理的に話しても受け入れることはありません。何故なら、彼らはそういう精神的な大人のフィールドで話をしていないからです。

こう言った人たちは、今までの人生で、必ずどこかで問題が発生していたはずです。しかし、それを無視し、「自分ではなく周りが悪いのだ!」と言う依存的な態度で生きてきました。ですから、中身も成長していません。

人間は、過去辛いことがあった場合、このように他人に依存して生きていこうとするか、誰にも頼らず自立して生きていこうとするかのどちらかを選びます。彼らは前者を選びました。

そして、こういう依存的な人と出会ってしまう人は、逆に自立し過ぎている可能性がありますので、以下の記事を参考にしてみてください。

また、依存的な人は、「自分の責任を取る」と言うことが出来ません。自立した自分という軸がなく、自分の行動は全て周りの人の影響を受けているので、「相手が悪い」と本気で思っています。

仮に、最初の項目で説明した「罪悪感」を強く感じていても、自立的な人は自分の非を認めます。むしろ、責任を背負いすぎたり、自分が悪いと思いすぎることが問題です。また、頭が良く真に論理的な人は、腹が立っても自分が間違っていた場合は必ず謝罪します。何故なら、それが正しいことだからです。

自分の非を認められない人は、劣等感と罪悪感が強いだけでなく、根が依存気質であり精神年齢が幼児と同じである、という可能性は極めて高いです。

感情を抑制しているから

3つ目の理由は、「感情を抑制しているから」です。

過去、愛着障害などを抱え精神年齢が低年齢のままストップしてしまっている人は、ほぼ間違いなく感情に関して未熟です。

幼児や赤ちゃんが、何かあると泣くのは、自分の不満に対してきちんと説明できる言語能力がないことと、自分の感情を自分で処理することが出来ないからです。

そして、自分の非を認めることが出来ない人々は、自分の感情を扱うことが苦手な人が多いです。これは、過去に親との接触の中でショックを受けたことがトラウマ化しており、自分の感情を極度に抑える癖がついているのです。

どうしてこうなったかというと、例えば赤ちゃんがお腹が空いていて、泣いても泣いてもお母さんが自分のところに来てくれなかった場合、「自分は見捨てられたのだ」と思ったり、「生きていけない」と生命の危機を感じたりします。

大袈裟に感じるかもしれませんが、子供とって親は自分の命を握っている存在なので、少しの脅しや怒りなども非常に怖く、それが自分の身の安全を害すものと受け取ります。

しかし、親と切り離されて生きていくことは出来ませんから、親の顔色を読みながら、その時に感じた絶望や悲しみを自分の中に封印します。そして、それ以上自分の感情を感じないようにするのです。これが精神年齢が成長しない原因の最初の段階です。

いじめや家庭内不和、DVや虐待など、色々なことが原因で子供は自分の感情を自分から切り離します。これがひどくなると、解離という状態になり、何も感じなくなったり、過去を思い出せなかったり、多重人格障害になったりします。要するに、思考で生きて感情を殺すわけです。

こう言ったトラウマ体験は、お腹の中にいた頃から大人になるまで様々な時期に起こりますが、大抵は幼い頃ですので本人が覚えていないことも多いです。

しかし、何かしら過去に原因があり、このトラウマに今現在まで向き合っていない場合、感情の抑制は続きます。こういう人は、他人への共感力の欠如が顕著です。(自己愛性パーソナリティ障害の特徴)

そして、この感情の抑制が強いと、他人の気持ちを上手く感じることが出来ないので、自分勝手な人格になります。そして、精神年齢も成長していかないので、中身は赤ちゃん〜子供です。そうなると、思考だけが大人の状態ですので、左脳だけで全てのことを判断することになります。

しかし、「自分の非を認められない」彼らは非常に感情的で、非論理的に見えませんか?左脳だけで判断するのならば、どう考えても「自分が悪い」になるからです。ここが左脳偏重型の問題であり、キモなんです。

彼らは、周囲に「責められるかも知れない」と思うと、脳は緊急事態に備え、防衛体制をとります。ここで働くのが情動脳と呼ばれる右脳です。人間は命の危機に晒されると、思考の左脳より、直感や感情の右脳(扁桃体)が活性化します。

左脳は、論理性や合理性で話をするので感情は含めませんが、人間は感情と論理、右脳と左脳のバランスが取れて初めて「まとも」といえる状態になるわけですが、彼らは普段は感情を感じないように左脳だけ、緊急事態は脳がトラウマを体験した当時に退行し右脳だけ、と思考と感情のバランスが取れません。

トラウマが強い人々ほど、この右脳の活性化も凄まじいので、右脳メインで自分の現状を相手に伝えることになります。この時、自分の感情を整理したり、冷静に対処する左脳は働いていないので、訳のわからないトンチンカンな話(感情論)になってしまうわけです。

その後、落ち着いてくると左脳も働き始めますが、今度は左脳ばかりが活性化し、論理で感情の部分を埋めようとするので、論理破綻します。

ちなみに、普通の人は多少ショックなことがあり右脳が活性化しても、同時に左脳も働いているので、「感情としてはショックだけれど、相手の言い分も理解はできる」という風になります

しかし彼らは、普段から脳の使用が偏っているので、外から見ると訳のわからない人に見えるわけです。

また、左脳にバランスよく感情が絡まないと、誰に教えられるわけでもなく当然人が共有している倫理や相手の立場などを思いやる思慮が加味されません。

結果自分に都合のいい思考回路になり、自分が知っていることだけで相手を理解しようとするので、一生懸命頭で考えているはずなのに、「何かおかしい」結果しか導き出せないわけです。

特に中身が幼稚な彼らは、成熟した大人が持つ「思いやり」という心理機能を持っていません。自分を守ることに必死で、他人のことまで考えている余裕が本当にないのです。ですから、本気で自分だけに都合のいい理屈をこねくりだし、それが正しいと思っています。左脳は、「完全な正しさ」を教えてくれるものではなく、時に自分にすら嘘をつくのです。

この「何かおかしい」が感じるのは、実は思考ではなく感情です。これに気づかず、「おかしなこと」をしてしまうのが感情抑制型の問題であり、世の中で犯罪が起きたりする原因の一つです。

また、小学校に上がる前の子供は、大人の都合なんて考えずにわがままを言いますよね。子供は「自分がする振る舞いが、周りにどういう影響を与えるか」ということを考えられません。あれと同じ状態なわけです。

しかし、本人はそれが当然で、ともすれば「自分は頭がいい」と思っているので、聞く耳も持ちません。知性は大人でも、感情面が「知らないもん!」の世界なのです。

トラウマに興味のある方は、こちらもどうぞ。

自己愛的な人に、男性が多い理由

ちなみに、女性にこう言った人が少ないのは、女性が生まれながら「感情」や「右脳」の領域が男性より優位で得意だからです。

幼い頃強く傷つくことがあっても、持ち前の感情の力で「悲しい」「辛かった」と感じ、吐き出すことが出来ます。気心知れた友人との、心を開いたおしゃべりなんかも、「自分の感情を受け入れてもらう」という意味で非常に役に立ちますし、女性性は自分自身で自分を癒す能力も十分に持ち合わせています。

反して、男性は左脳が優勢で、感情は劣勢となり、行動や発言を自分自身だと思うこむ傾向があります。これは生物学的な話で、男性性と女性性のバランスが取れている人もいますし、中身は非常に女性的な人もいます。しかし、男性がエゴ(思考)の罠にハマりやすいのは事実です。

ですが、トラウマが大きかったり、女性でも社会でバリバリ働くことを強要される人や、元々男性性が強いと自己愛的な人になることは多いです。

特に戦後の世代は、戦争のトラウマの影響を強く受けているので、「我慢が美徳」「大学を出て、一流企業に勤めて結婚して子供を産んで持ち家を買うのが一番」などと教育され、自分の個性や感情より「一般性」や「お金」「世間体」「名声」「成果」などを優先する傾向があります。こうなるとどうしても競争第一主義の自己愛的な人間になります。

上記の内容から、男性は女性よりも自己愛的な人間、「自分の非を認められない人」になりやすいと言えます。

自己愛的な人への対処法

まず言えることは、こういったタイプは精神的に大きな問題を抱えており、それを自分で改善する具体的な努力が出来ない人です。

どんな人と関わるのもあなたの自由ですが、もしもあなたがパートナーとしてこの人に深く関わる場合、それを克服するには想像以上の忍耐力と努力が必要になることを覚悟してください。

特に、自己愛性パーソナリティは100点である自分以外受け入れたくないと言う考えを持ちます。「自分に欠点があること」が絶対に許せませんので、病院やカウンセリングなど積極的な治療を拒否することが多いです。

完璧な自分が病院に行って、「あなたはおかしい」「病人」扱いをされることが許せないからです。自己愛性パーソナリティ障害が治らないと言われる所以はここにあります。

その上で、相手と話し合いを持ちたい場合、どう話せばいいのか対処法をお話しします。

感情で伝える

まず、こういう人に対して「正しさ」を振りかざしても、間違いなく意味不明な論理で言いくるめられて終わります

何故なら、彼らは自分の論理破綻した自己中心的な言い訳を、本当に正しいと思っているからです。相手のことを思いやるとか、相手の立場に立つことが出来ませんし、そんなことをする意味が分からないので、そこは知らぬ存ぜぬで平気な顔をしています。

また、あなたが正しさを相手に振りかざす時、相手の感情が置き去りになっていることも多いです。実際は、社会などで感情が絡まない問題でも、これがトラブルの元になることが多いです。

ですから、相手に話す時は「そんなことをされると悲しい」「あの時は辛い気持ちになった」など感情ベースでお話をしてください

感情には良いも悪いもありませんから、相手は受け入れるほかなくなりますが、それも受け入れられない人は自分の感情も徹底的に排除している人ですから重症です。

感情的にならない

上記で、感情ベースで話をしましょうと書きましたが、これはないようについてであり、態度としては感情的にならないことがとても大切です。

とにかく、理性的に話をしてください。

しかし、理性的になりすぎて、相手を突き放すような感じでいると、相手は「自分を拒絶している」と感じ、それを「攻撃である」と受け取ります。

ですから、攻撃でもなく、過剰な共感でもなく、怒りを爆発させるわけでも、拒絶しているわけでもない絶妙な中間を目指してください。

相手を受け入れながら、相手との境界線はしっかりと引く。こちらから、自己中心的な態度は見せないが、同時に相手に過度な配慮もしない。無になる感覚です。

謝らない・自分の非を認めない人は、どこかであなたに対しての強い甘えか、人として見下しているような舐めた態度の2つのどちらかが強い可能性があります。これらの態度は、甘えと舐めた態度を許さないという信号になります。

相手のそう言った態度に付き合わない、そう言う態度を大切にしてください。

相手を絶対に責めない

非常に手間がかかりますが、相手に感情を伝えるときは相手を絶対に責めないようにしてください。相手が幼児退行し、ギャーギャーと喚いて論理破綻している時、相手は「自分が正しい事を伝えている」と思い込んでいますが、実際には少し違います。

痛い!痛い!傷に触らないで!傷つけないで!」と言っているのです。

相手にとって自分を否定されることは、自分の命を危険にさらされることです。明かにこの思考の飛躍は異常なのですが、パーソナリティ障害は「認知や感情などの精神機能の偏りがあり、日常生活に支障が出る人」のことを指すので、やはりまともではない状態なわけです。

あなたが「自分の非を認めない人」に腹が立っているとき、実際には2歳児に「どうしてそんなこともできないの?!」と怒っているのと同じです。相手は2歳児なので、ギャーギャーと泣き喚きます。

もちろん、未熟な精神であることの原因が幼少期にあっても成人していれば本人の責任ですから、こちらが配慮しなければいけないのは腑に落ちません。しかし、実際にそうでもしなければ会話ができないのです。

ですから、もしその人と関わりを持つ、会話をすると決めたのなら、相手は自分と同じレベルで話が出来ない人であることを最初に受け入れてください。これは見下しではなく、尊重です。

仮に相手が自分より明かに未熟で問題があったとしても、相手は自分と違う人生を歩み、違う人格で、違う選択をしてきたということを認めるのです。その上で、相手を絶対に責めないよう、相手の感情に配慮し言いたいことを伝えてみてください。

相手は中身は子供で、あなたに責められることと、怒られることが異常に怖い状態にあります。過去の傷を抉られるのではないかと、怯えています。

ですから、「あなたを責めたいわけじゃない。あなたも一生懸命だったんだと思う。気持ちはわかるよ。ただ、そういうことをされたら私は悲しい」と相手に伝えます。小さい子供に伝えるつもりで、です。

そうすると、相手の過剰な防衛は溶けていきます。「この人は自分を責めないんだ」と、安心します。少し話が出来る隙ができます。

この時、言葉の端に少しでも相手への批判があると、言葉ではなくその批判を過度に受け止めますので、言い方、話し方に注意してください。それができれば、少し会話が出来、解決の方向に向かっていくでしょう。

この2つを行っても相手が騒いでいる場合は、おそらく会話ができない領域に行ってしまっていると言うことです。こうなると専門家にお願いするしかないのですが、パーソナリティ障害は扱っている病院も少なく、本人も「精神的な病気である自分」を受け入れませんので、なかなか治療が難しくなってきます。

また、彼らがいまだ未就学児レベルの感情年齢であることは変わりません。ですから、彼らが肉体年齢まで精神が成長するには、今の年齢と同じくらいの期間が必要な可能性もあります。所謂、カウンセリングによる「育て直し」、相手の情操教育が必要になるわけです。

ですから、相手を自分が育てる、付き合うという覚悟がない人は、「離れる」(相手を信頼し、相手の人生は相手に任せる)という選択肢もあることを知っておいてください。

自分の非を認めない子供

自分の非を認めない子供は、大人の場合と似てはいますが、少しだけ違います。何故なら本当に子供だからです。

その上でまずお伝えしたいのが、子供にとっての親は、親が思う以上に「恐い存在」です。表面的には優しくしていても、いざとなったら自分をどうとでもできる神に近い人間がそばにいて、問答無用で自分の生殺与奪の権利を握っているからです。

親が喧嘩でもした日は家庭が崩壊し自分がよそにやられるのではないかと不安で眠れなくなってしまったり、怒鳴られでもすれば恐怖で体が凍って動けなくなります。

そもそも、大人と子供では知性も体の大きさも違う訳ですから、絶対に勝てません。居るだけで恐いのです。ですから、最初に子供の立場から大人を見る、と言うことをしてみてください。

親御さんにも子供時代はあった訳ですから、その時を思い出してみてください。子供にとって親の存在は、物理的にも精神的にも、親が考えるよりずっと大きいのです。

そして、その上で子供がどうして非を認めないかと言えば、心理は基本的には大人と同じです。「責められると思っているから」「自分を受け入れてほしいから」です。

子供は親に怒られ、責められることってものすごく怖いんです。本能的に「捨てられるかも知れない」と思い、「出ていけ!」と言われたら1人では生きていけないので、どうしていいかわからず混乱します。だから、「自分は悪くない」と主張するのです。

その時の子供は、怯え傷ついた小動物のようなものです。「怒ってないよ」と安心させてあげること、「失敗したって大丈夫だよ」と失敗しても親がその子供を愛していることを伝える事が、まず大前提です。

また、子供には子供なりにその行動をした理由があります。

例えば、子供が「遊びで本を踏んだ」としましょう。親は「本=踏んではいけない」と言う思い込みがあるので、教育のため思い「どうして本を踏むの!ダメって言っているでしょ!」と叱ります。

この「本=踏んではいけない」は、偏見であり、教育という大義名分を得て子供を怒鳴ったり、「普通」に直そうとするのはただのエゴであり虐待です。教育と言うは、社会的にそういう概念があることを教えることであって、他者に自分や社会の考え方を押し付けて強制的に前習えさせることではありません。

子供は、「本」と言う物体を曇りなき目でみています。ですから、彼らの中には「本=読むもの」「本=踏んではいけないもの」「本=学ぶもの」などの固定概念を持っていません。だからこそ、その「何か」を新しい方法で利用するアイデアが生まれたり、純粋にそれを向き合うことが出来るのです。

確かに「本を踏むこと」は社会的には問題だと思われる行為かも知れません。外に出たら、周りに何か言われるかも知れません。

しかし、それは本当に子供を心配して言っている言葉でしょうか。親が「まともに育てていないと責められるかも知れない」などと勝手に不安に思っているだけで、その不安を解消するために子供を利用しているのではないでしょうか。これは教育ではなく、恐れからくる思考=エゴと呼びます。

そして、ここで怒られた子供が自分の非を絶対に認めない場合、子供が求めていることは「自分を理解して欲しい」と言うことです。彼らは彼らなりに思うところがあって、そういう行動をしました。それを理解してほしいのです。

そして、ほとんどの子供は優しく親を心から愛していて、素直です。ですから、悪いことは教えてもらえればしなくなります。

(ここで注意点なのですが、子供は親が口先で言っていることより、普段の親の行動や思考を見て真似をします。人間は顕在意識で認識していることを口にし、より深い潜在意識で認識していることを行動として表します。ですから口で言うことを聞かせようとしても、うまくはいきません。子供は親のことを本当によく見ているのです。)

子供は、親に怒られ嫌われるのが何よりも怖く、いつも自分の個性や感情を分かってほしいと思っています。そして、子供が自分の思い通りにならないからと怒り、「恐れで相手をコントロールする」と言う極めて旧時代的な方法を行えば、口では「人を大切に」などと言っていても、子供が大人になった時親と同じような人間にすると言うことをよく覚えていてください

悪いことは、相手と目線を合わせ、きちんと優しく教えてあげればいいのです。子供はバカではありません。むしろ大人より賢く、真理を理解しており、全ての記憶が体の中に入っています。

だからこそ、何故子供がそういう行動をしたのか考え話を聞いて、気持ちを受け止め、その上で社会的な概念を教えてあげましょう。

この3点セットがあれば、子供に限らず人間は大体おかしい方向にはいきません。みんなただ自分を理解されたがっているだけで、彼らのありのままの個性や自由を常識や偏見で抑制すると、必ず反発が起こるのです。

また、彼らは大人に新しい視点や価値観を持つことを教えてくれています。子供の行動は大人にとって理解し難い非常識な行動かも知れませんが、大人は自分がいかに教育や普通に支配されている人間かを知ることができます。

この偏見のなさは、「クリエイティビティー」と深い関係がありますので、あなたが過去に封印した、幼いあなたを解放してくれる可能性があるものです。その解放は、あなたに心理的にも物理的にも自由と豊かさを与えてくれる事でしょう。

もしも、上記を実行しても子供が非を認めない場合は、自分が親に受け入れられていない、感情を理解してもらっていないと思っている可能性が高いです。それは信頼関係が育っていないと言うことになります。(イヤイヤ期などの特殊な時期は除きます。2歳のイヤイヤ期は、親との信頼関係が出来ているからこそ発生するものです。親に対して不信感があると、「イヤ」と言う自己主張ができないからです。)

子供は親が自分を受け入れてくれていない、愛してくれていないと思っているので、言うことを聞かないという態度で反抗している可能性があります。

また、もう1つの可能性として、親の問題が顕在化している場合があります。

子供は親をコピーして成長します。そんな子供が非を認めない場合は、あなたの中に、何かすでに機能していない、要するに「辛いのに昔から持ち続けている信念」があるのではないでしょうか?

例えば、「失敗をしてはいけない」「良い母親でいなければならない」「問題なく人生をやり過ごさなければいけない」「私さえ我慢すれば良い」などです。

これらはほとんど幼少期に、家庭内で生きる残るため、あなたが採用した考え方です。昔はこの考え方を駆使することでうまく行ったのですが、大人になっても同じ考え方で生きていると、逆にトラブルを引き起こす原因になることが多いです。

子供は、親の問題を自分の問題として具現化します。これを見た親は、自分が見て見ぬ振りしている問題が目の前に現れる訳ですから、強烈に嫌悪し、逃げようとしたり、虐待じみた教育で子供を治そうとします。しかし、子供はわざと親を古い価値観から助けたくて、問題を起こしているのです。

「その価値観、辛くない?」「その生き方、もう限界じゃない?僕は、私は辛いよ」そう教えてくれています。

潜在意識と深く繋がっている子供の言動には、あなたが思っているよりもたくさんの意味があります。頭ごなしに「非を認めない=なんとかして素直な子にする」と言う偏見は持たず、子供と、そして誰より自分の個性や感情を受け入れる、と言うチャンスにされることをオススメします。

「お前のせいだ!」は本当か

自分の非を認めない人は、パートナーに対し「お前のせいで自分はこうなった」と言うことがあります。

これは、前述の通り依存的な他罰思考ですが、彼らの意見は案外的外れなわけでもないのです。

相手は自分の鏡

夫婦や恋人は、自分のパートナーとして相手を選ぶ際、自分と似たような問題を抱えた人を選ぶことがあります。もしくは、全く自分とは違う人を選んだとしても、夫婦は鏡として存在するので、一方の潜在的な問題を、一方が顕在化することが極めて多いです。

自分の非を認めない人が目の前に現れた場合、人間同士も波長で引き合っているので、あなたの内面にも必ず何か向き合うべきことがあるのですが、夫婦の場合、この傾向が大幅にUPします。

例えば、妻の潜在意識下にある「夫への依存心」にストレスを感じた夫が、それを顕在化するために「浮気」という形で表現することもあります。パートナーは、必ず一緒に問題をクリエイトしているのです。もしも、ここで妻が根っこにある依存心を克服し、夫がまだ浮気を反省しない場合は、生きるステージが変わり人生が大きく変化するタイミングに来ていると言うことです。

この時、もし本当に妻のレベルがステージアップしている場合、夫に対しての執着心などはなく、気持ちよく離婚という選択肢を選ぶことができます。人間は、その時その時に合ったレベルの人と一緒にいますので、学びが終われば別れることもあります。

また、人間はパートナーに自分の過去の傷を癒してほしい、と考えます。本来なら、プロに依頼するか自分で自分に向き合うと言うのが、自立した人間の取る手法です。

しかし、ほとんどの人は自分の傷を愛する人に癒してもらおうとします。幼い頃人間関係で生まれた傷を、大人になってから愛してほしい人に癒してくれるよう求めるのです。

こうなる時、相手も似たような問題を抱えていると、共依存関係になることがあります。所謂、DV夫と殴られ妻の関係です。

与えすぎる人と、与えてもらうことばかりを願う人がくっついてしまう現象を共依存と言いますが、この関係は必ずお互いを傷つけ破綻します。そして、最初に離れるのは必ず与えていた側です。

この場合、与えている側は大抵「相手を助けてあげたい」とか「相手を癒してあげたい」と感じ、必死で与え続けますが、本当に助けたい、癒されたい人は実は自分です。この人たちは、相手に与えることで、いつかは助かりたい、相手にも癒してほしいと心の奥底で要求しています

これは自分を満たすために相手を利用しているのと同じですから、うまくはいきません。搾取している側も、心の奥深くでは、自分が真に愛されておらず、相手の自己重要感を満たすために利用されていることに気づきますから、更に愛情飢餓になり、与えてもらうどころか奪うようになります。

こういう人間関係が出来てしまった場合、他者ではなく誰よりも自分を大切にするために、自分を傷つける人と縁を切る、離れるという学びをすることになります。

もしも、相手が問題を抱えていなければ、相手が成長するまで気長に付き合う(相手に与えることを喜びに感じ、同時に与えすぎず、他者との境界線を守れる)こともできますが、かなり人間的に成熟している必要があります。しかし、不可能なことではありません。

相手を見守る女性性

また、この相手を需要し育てることが出来る能力は、女性性の力です。「パートナーが幼稚で許せない!」と思う人は、あなたも同じように精神的に子供で、女性性が十分に発達していないことが原因であることが多いです。特に子供に対して本気で腹が立つ人は、この傾向が強いです。

もちろん、当然相手と付き合う気がない場合などは別です。しかし、相手が子供の場合、または相手を好きだけれど許せない場合は、あなたがまず自分に受け入れてもらえず我慢しているので、自分に受け入れてと喚いている相手が羨ましく、それを見た子供のあなたが怒っているのです。

女性性が豊かな人は、感情に淀みがなく、相手の長所も欠点も丸ごと受け入れる力を持っています。ですから、相手に「何故自分の非を認めないの!?」と怒ることはありません。受け入れられない相手を受け入れていて、見守ることが出来ます。そういう人のグレーな部分、未熟な部分を受け入れる器があるのが、成熟した女性です。

もちろん、全ての他者に全力で何もかも受け入れる姿勢でいる必要はありませんが、ある程度周囲の人を受け入れることが出来る人は、自分を受け入れることが出来ている人です。それはすなわち、自己受容が出来ている人、女性性が成熟している人、と言うことになります。

問題は、あなたへの幸せのメッセージ

「人の振り見て、我がふり直せ」と言う言葉がありますが、あなたの目の前に出てくる問題は、あなたの心の中が何かしらの形になって出てきたものです。

ここでこの話をするのは、全ての問題を「自分のせい」だと思って罪悪感に苛まれましょう。と言っているわけではなく、「この問題は、私に何を伝えようとしているのだろう」そういう視点を持ってみるのはいかがですか?と言う提案です。

「自分の非を認められないのは相手の問題であり、自分の問題ではない。しかし、こうなった原因の一部は自分にあるかも知れない。」そういう考え方を、課題の分離と呼びます。

自分の非を認められないのは、間違いなく相手の問題です。しかし、その問題があなたに「見えている」と言うことは、その問題を通して、何かしらあなたにも学びや変化のチャンスがあると言うことでもあります。

問題は、あなたを困らせるために起こるのではなく、あなたをより幸福にするために起こっているということをどうか知ってください。落ち着いて自分に向き合ってみると、さらに素敵なあなたになれる鍵が、その問題の奥に潜んでいるかも知れません。

自分いじめに気をつけて

いかがでしたでしょうか。

どうしても自分の非を認められない人っています。そして、現代の日本は感情を抑制し、思考で生きるよう教育された大人(傷ついた子供)が大勢います。

そしてそれは、ほとんどが家庭でのしつけと学校教育によって形づくられてきました。彼らはある地点では被害者でしたが、今現在は傷ついた状態で居続け、周りも傷つけるという選択をしている時点で、加害者にもなり得ます。

人は、こういう問題のある人と出会った時、相手が悪いと知りながら、「そんな人とどうして自分は出会ってしまったんだろう」「どうして関わってしまったんだろう」と無意識に、そして強烈に自分を責めます実は、こういう出来事が起こって一番傷つく原因となっているのは、この自分責めの思考であり、相手の態度や言葉ではないのです。

物事は、必然で起き、必ず自分が望んで起こしています。「こんな酷いことを自分で起こすなんてありえない!」と思うかも知れませんが、潜在意識は自分をさらに幸福な方向へ導くために、ネガティブな出来事を起こすことがあるのです。

人間はここで「なんで」「どうして」とネガティブな出来事に不満を感じ、自分が悪いのだと自分を嫌い責めますが、実際には、ピンチはチャンスであり、もっとあなたを自由にするために起こっていることです。

ですから、嫌なことがあった時、「自分が悪いことを引き寄せた」「やばい人と関わった自分が悪い」と自分を責めず、「なるようになる。全てうまく行っている」と自分と現実を信頼する姿勢を取り入れてみてください。

癒しと変化は、受容の先にしか起こり得ません。

自分の非を受け入れない相手は置いておいて、今現在起こっていることをただ受け入れる、そういう強さと自分への愛情を持ってみてください。

また、自分ではなかなか難しいという人は、カウンセラーや占い師などのヒーラーに話し、ネガティブな感情を手放すお手伝いをしてもらうこともできます。一人で悩まずに、誰かに相談してみるのも手です。

そして、そのポイントは自分より精神年齢が高い人に相談をすること。見極めは、その人が本当の意味で幸せそうかどうか、です。

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