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自分の意見がない・自分の意見が言えない原因と5つの心理【自信・自己肯定感】

心理学
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会社や、友人関係など、大切なところで自分の意見が言えない人っていますよね。その時は何とか切り抜けても、後々もやもやしたり、トラブルになることもしばしば。

元々HSPなどの内向的な人、外向的な人の違いや、生まれながらの性格はありますが、本当に言わなければいけない時にも言えないのは日常生活でも困ります。

そんな人に向けて、どうして自分の意見が言えないのか、その原因と心理、そして対処法を説明していきます。

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自分の意見が言えない原因

自分の意見が言えないのには、生まれ持った性格もありますが、必ず原因があります。

生まれ持った性格が例え以下のような特徴を持っていたとしても、やはり言う必要のない時に自分の意見を発言出来ないのは困りますし、言えるようになることは可能です。

以下は、自分の意見が言えない主な原因をご紹介します。

幼い頃、親が意見を聞いてくれなかったから

自分の意見が言えない人は、生育歴の中で「親が子供の意見を尊重しなかったこと」が何より一番大きな原因です。

幼い頃、子供が何を言ってもお構いなしで自分の思い通りにしようとする親に育てられると、人は「言っても無駄だ」と感じ、自分の意見が言えなくなります。頭では「ここは言ったほうがいい」と分かっていても、出来ないのです。

これを「学習性無力感」と呼びます。

この学習性無力感という言葉は、1967年にアメリカの心理学者マーティン・セリグマンが発表したものです。セリグマンは「犬に電気ショックを与える実験」を行い、その心理を実験しました。

この実験を端的に説明すると、「何度やっても上手くいかなかったことは、そのうち行動すらできなくなる」ということです。

自分の意見が言えない人は、過去に自分の意見を言っても、それを受け入れてもらえなかった、聞いてもらえなかったという過去を持ちます。仮に自分の意見や希望が何もかも採用されなくとも、「あなたはそう思うんだね」と、自分の感情を受け止めてもらえれば、人は否定されたとは感じません。

ですので、こういうタイプは自分が意見を持つ前に親が先回りして決めていたか、意見を言っても頭から否定され、話を聞いてもらえない「どうしてダメなのか」を説明してくれない場合などに、人はこの「学習性無力感」を感じます。

これは、言うなればトラウマ、PTSDと同じ状態です。ですから、このように育てられた人が自分の意見を言えないのは、「言わない」のではなく「言えない」に近いので、まずはそのくらい大変な状態にあることを知りましょう。

そして、自分の意見を言えなくなってしまった人たちを育てた親(おおよそ母親)が、どういうタイプだったかによっても、少しづつ内容は違ってきます。母親のタイプは主に以下の3つです。

過干渉タイプ

まず、過干渉なタイプの親は、子供が意見を持つ前に、もしくは意見を持ったとしても、「ああしなさい」「こうしなさい」と決めて子供を動かそうとします。そうすると、子供は自然に意見を持つこと自体をしなくなります。もしくは、言っても無駄だと思い、黙り込むようになります。

この過干渉タイプには、心配ばかりしている不安が強い毒親と、コントロール欲求の塊である激しい毒親タイプがいます。中には、ニコニコしている表面的には落ち着いた親もいますが、結局は「あなたのため」と言いながら自分が利益を得るためにコントロールしているという意味では同じです。どれも根源は「不安・恐れ」であり、それらを子供を支配することで解消しようとしています。

例えば、親に「習い事は、ピアノと習字、どちらをやりたい?」と聞かれたとします。自分としては「下手かもしれないけど、ピアノがやりたい!」と思っていましたが、親が習字をやらせたいという気持ちを強く持っている場合、子供は親の気持ちを察し、自分の感情は隠して、親の希望を叶えようとします。

こういう親は、「自分は子供の意見を尊重している」「自由にさせてきた」と思い込んでいますが、実際には子供の心を何も理解出来ていません。

彼らは、自分が大人として成熟していないので、子供のありのままを愛することができません。自分のことで精一杯で、他者を慮る余裕がないのです。

また、子供の起こすかもしれない問題に対処する力がないので、支配して子供に失敗をさせないようにします。こういう親に育てられると、子供は失敗が悪いことだと思い、親と同じように心の底では現在起こっていないことにも過剰に怯えるようになります。「〇〇でないと生きていけない」などと条件付けをして、安心して人生を歩むことが出来ません。

このタイプに育てられた子供は、事なかれ主義的になることが多く、「自分がない」や「やりたいことがない」という感情で苦しむことが多いです。

同時に、「親の言うことを聞いてさえいれば、なんだかんだ安全」という経験から、守られることと過干渉であることの区別がつかず、主体性を失い、いつまでも自立が出来ないタイプも多いです。

放置(ネグレクト)タイプ

次は、放置(ネグレクト)タイプです。

このタイプの母親に育てられると、一見子供は自立します。母親が何もしてくれないので、自分でやらなければ生きていけないからです。

しかし、特に女性の場合は、母親に自分を受け入れて欲しくて、愛して欲しくて親を気遣い頑張ることが多く、親の面倒(家事や愚痴を聞く、励ます等)まで見ることになります。親は自分を放置し、自分を見てくれないけれど、自分が頑張っていい子になったら愛してくれるかもしれない。そんな希望が心の奥底に根付くことになるので、大人になるとやたらと男性性が強いハードワーカーになったり、人に与えることばかりを考え、誰かに助けてもらうなど、うまく愛情を受け取ることが出来ない人になります。

このタイプの親で、子供が問題を起こした時だけは面倒を見ていた場合は、愛着関係が不安定になり、子供は混乱します。そうすると、子供は「問題を起こす=親に愛される」という考えを持つことになり、大人になってもいつも誰かに助けてもらおうと必要以上に依存的になったり、病気をしたり、問題を起こしたり等、トラブルメーカーになることもあります。

このタイプに育てられた子供は、自分の感情を表現するのが苦手で、伝える必要があることも言えなくなるか、ある時爆発したように騒ぐかのどちらかになることが多いです。

被害者タイプ

最後は、被害者タイプです。

このタイプはいつも自信がなく不安そうにしているので、「可哀想なお母さん」という気持ちを子供に持たせます。本人はそんなつもりはないのですが、そうすることで暗に子供を支配しているのです。

彼らは幼い頃から、「自分は被害者である」という思考を一貫して持っています。「いつも自分は誰かのために我慢している」「自分さえ犠牲になれば」そんな思いを山ほど持っているので、いつも不幸で満たされていない状態であり、それを子供に感じさせます。そして心の奥底では「自分はいつも誰かのために生きていて、損をしている」と思っており、子供に愛を与える余裕などなく、いつも枯渇しており、飢餓状態です。

彼らはそんな可哀想な自分への自己憐憫に一生懸命なので、いつも悲しそうな顔をしている親を助けるために子供がどれだけ悲しんでいるか、子供も一緒に我慢しているかに一切気がつきません。気が付いたとしても自分の方が可哀想と思っているため、むしろ子供の気遣いや配慮を当たり前のものとして搾取し、どんどん依存します。いつも損をしているので、一見自由に見えて、自分が産んだ生き物くらいからは、貰っても(奪っても)いいと思っているのです。

深層心理では、「あんただけは私の気持ち、分かってくれるでしょう?」「お母さんを一人にしないよね?」と子供の足を引っ張っていることに気がついていません。非常にタチが悪く、ハタ迷惑なタイプです。

そして子供は、可哀想なお母さんを助けるため、いつもお母さんの顔色を伺い、彼らが喜ぶために一生懸命に尽力します。

このタイプに育てられた子供は、相手のことを考えすぎて、自分を犠牲にすることが多く、結果面倒ごとやトラブルを1人で抱えることになります。反抗期がなかった人も、このタイプです。

   

今回母親のタイプを3つに分けましたが、実際には併発することも多いです。例えば、普段は可哀想な母で、生活面では過干渉、精神面ではネグレクトなどです。このタイプは、親も大きな問題を抱えた家庭に生まれている場合が多いです。特に、現代では生活面では過干渉、精神面ではネグレクトタイプは最も多いです。

また、人間の人格形成の一番大きな存在は親ですが、親以外にも兄弟姉妹や先生、友人など近親者との間で上記に似た内容の大きなストレスを感じることがあれば、相手が親でなくとも自己肯定感が下がり、自信が無くなってしまう可能性があります。

自分の意見が言えない人の5つの心理

自分の意見が言えない人が自己主張出来なくなるのは、やはり幼少期の親との関係や過ごし方がメインですが、そんな親に育てられることによって、どんな思い込みが生まれるのか、主な心理を5つご紹介します。

嫌われるのが怖いから

「自分の意見が言えない人」の親は、ほとんどが心に問題がある親=毒親に育てられています。

そして、そういう親に育てられた人は、他人の顔色を過度に伺う人になります。何故かというと、小さい頃、「自分がその家庭で生き抜くために、親の顔色ばかり見る必要があったから」です。

幼い子供にとって、親は自分を養育し、守ってくれる存在です。ですから、親に嫌われてしまったら、子供は生きていけません。子供にとって親に嫌われることは、比喩でなく、命の危険を感じるものなのです。

普通の親は、子供がどんなにわがままを言おうが暴れようが、自分の子供というだけでその存在を愛し、大切にします。しかし、毒親はそもそも自分が子供なので、特に精神的に子供を育てる余裕がありません。

そのため、泣いている子供を包む母性的な包容力や、子供が努力しているのを黙って見守る子供の成長を信じる父性、また困っている子供を助ける具体的なアドバイスなど、親として、そして人生の先輩としての本来親が行うべき役割のほとんどが出来ていないのです。

そうすると、子供は特に精神的な保護者がいない状態で成長することになります。金銭面に大きな問題を抱えているなど、物理的な保護者がいない人も同様です。

親の役割を子供が肩代わりすることになり、むしろ子供に自分の面倒を見させる親すらいるので、子供は子供として成長できなくなります。彼らは、子供らしく生きる子供時代を過ごせずに大人になるのです。

しかし、子供はどんなに親が幼稚で問題があっても、幼い頃の「親に嫌われたら、生きていけない」をしっかり深層意識に刻んで生きていくことになるので、親から離れても「他者に嫌われると、生きていけない」と思い、順調に他人の顔色ばかり伺う大人になっていくのです。

「問題を起こしてはいけない」という考えが強すぎるから

自分の意見を言えない人は、自分の発言から問題が起こると大変だ、という気持ちや、人に迷惑をかけること、自分の問題に人を巻き込むことへの強い恐怖心があります。

これは、毒親が作り上げた機能不全家族(健全に機能していない問題のある家庭)が共有している考え方です。

毒親たちは、家庭内で何か大きな問題が起こったとしても、それを口に出さないことで家庭を守ってきました。その問題の大きさはそれぞれ違い、引きこもり、不登校、虐待、レイプ、家庭内暴力、監視、過干渉、離婚、浮気、複雑家庭など様々です。「うちは何も問題ない」という考え方を家族全員に強要し、表面的に平和な家族を保ってきたのです。

こういう家族で育てられた子供は、何か言いたいことがあっても言えない大人になります。毒親は、子供が問題を持ち込んでくることを非常に嫌う、もしくは無視しますので、こういう家庭で育った子供は、いじめられたり辛い出来事があっても、絶対に親には言いません。言っても意味がない(理解してもらえない・解決のために協力してもらえない)、むしろ怒られることすらあるからです。

改善点があるのに、それをしない、問題を表面化させないで個人で我慢させる、というやり方がしみつくと、会社や友人関係でもそういう環境に入ってしまいやすく、大人になっても同じような問題を抱えることになります。

人の気持ちが分かりすぎてしまうから

自分の意見を言えない人は、洞察力や共感力が極めて高く、人の感情が分かりすぎてしまう人も多いです。

これは、「可哀想な母」に育てられた人の特徴ですが、幼い頃から人の顔色ばかり読んできたため、人の気持ちを読むことに関しては素晴らしい才能を持ちます。

自己主張とは、相手と自分の意見が違うことを相手に伝えることです。しかし、こういうタイプは共感力が非常に高く、「相手が可哀想」と思ってはっきり言いたいことが言えません。想像力が非常に豊かで優しいので、相手がどれだけ傷つくかを考えてしまい、実行できないのです。

そして、共感力が高い人というのは、得てして相手との境界線が薄い人です。そのため、相手が傷つくと、自分も同様にその痛みを感じてしまいます。だからこそ、実は「自分が傷つきたくない、嫌な人間になりたくない」というのがこのタイプの人の本音です。

このタイプの人は、自分の養育者である親の顔色をよみ、親の機嫌を取ることで、不安定な幼少期を生き抜いてきました。ですから、大人になってもまず周りの人や環境を安定させることで、自分の身の安全を守るという考え方が染み込んでいるのです。

これは、「可哀想な母」が家庭で行ってきたことと同じであることに気づいたでしょうか?このタイプの母親も、本来は親を気遣う優しい子供でした。そして他者に尽くしすぎた挙句、自分の子供から搾取する人間になってしまったわけです。

このような人を、他人軸と呼びます。他人軸の人は、自分がどうしたい、どう考えるかの前に「相手がこうだから〜」「周りがこうだから〜」と周囲に合わせる癖があります。そして、上手くいかなくなると、相手や環境のせいにします。周りに依存しているので、振り回されてしまうのです。

このタイプは自由を好みますが、それはいつでも誰かに合わせられるように、決まった予定を入れたくないためです。

責任を取りたくないから

自分の意見を言えない人の中には、責任を取りたくないという考えを持つ人もいます。自分の発言が失敗の原因になったり、責任を追求され人に責められたりしたくないからです。

これは、自分への自信のなさから生まれる感情です。自分は間違っているし、間違ってはいけないという感情が強すぎて、責任を回避したいがために、何もしない、出来ない人になります。

こういうタイプの人は、放置型の親に育てられていることが多く、人間関係でも親密になることを恐れ、人に本心を曝け出すのを避けます。

また、親が過干渉すぎた場合も、人と近づくと依存される、責任を取らされる、責められると恐怖心を感じるため、回避型になることが多いです。

そもそも自分の意見が分からないから

自分の意見が言えない人の中には、そもそも自分の意見がない人もいます。

これは、これまでの理由とは少し違い、「言えない」のではなく、「そもそもない」のが特徴です。「あなたはどう思う?」と聞かれてもわからないのです。こうなる根拠として、「他人軸で人の気持ちが分かりすぎる」という先出の理由もありますが、過去、自分の感情を抑制してきたことが原因です。

幼少期に、「いやだ」「やめて」「やりたくない」など、主に否定的な感情を持った際、親にそれを無視されたか、否定されたことが原因で、自分の感情を持たないようになってしまったのです。そのため、ポジティブな感情である「嬉しい」や「楽しい」も感じることがなくなってしまいました。「学習性無気力」とも共通しますが、感じることそのものを放棄してしまったのです。

しかし、自分がない人というのは、基本的にいません。合わせるのが上手い人、共感するのが上手い人、妥協出来る人がいますが、誰でも必ず自分の感情というものは持っているものです。ですから、このタイプは、普通のように見える家庭に育ったとしても、比較的重いトラウマを持っていると言えます。

感情が麻痺してしまい、二重人格者などと同じである解離(意識や記憶などに関する感覚をまとめる能力が一時的に失われた状態)がある場合もあります。

自分の意見を言えないことへの対処法

自分の意見を言えない人は、総じて「自己肯定感が低い」のが特徴です。

自己肯定感とは、ありのままの自分を受け入れ、自分を価値ある存在だと感じられることです。

自分の意見が言えない人たちは、幼い頃、ありのままの自分でいることを受け入れてもらえなかった人たちです。面倒をかけない、問題を起こさない、聞き分けがいい等、親の思う「理想の子供」を演じてきた、演じさせられていた人たちです。

そのため、素直な自分の意見や、沸いてくるありのままの感情に自信が持てません。自分が「こうだと思う」「嫌だ」と思っても、その意見や感情に「それは間違っている」や「良くない」などと、無意識にジャッジを下してしまうのです。

もしくは、批判されることや失敗を過度に恐れ、表に出すことが出来ないのです。

恐れを書き出す

自分の意見が言えない人は、仕事などで自分より立場が上の人、もしくは自信を持っていそうな人に強く言われると、それが正しいような気がしてしまいます

しかし、意見を言うということは、正しいから言うのではありません。色々な意見を聞くことで物事を色々な面から見ることが出来たり、周囲とのコミュニケーションの側面もあるわけです。あなた自身を相手に理解してもらうため、自己表現です。

それが出来ない理由は、自己表現をすることで孤独になってしまうことを恐れ、です。これは、前述の通り、幼少期自分の意見や感情を伝えた時に、親が真っ直ぐに向き合ってもらえなかったことが原因です。「自分の意見や感情を親に言って、嫌われたら生きていけない」と言う思い込みを大人になっても持ち続けているのです。

しかし、ここは日本で、あなたはもう大人です。親や他人に嫌われても、仕事を失っても、恋人にフラレても、生きていくことはできるのです。私たちは、特に社会的には「会社をやめたら生きていけない」「路上生活しかない」などと過度に怯えさせるような思考を教育されていますが、実際にはそんなことはありません。

もちろん、安定した思い通りの人生は歩めないかもしれませんが、人間人生は基本的に思い通りにはならないもの。しかし、それを思い通りにしようとしているから、自分を殺し、過剰に我慢することが増え、その我慢が日常の色々なところに問題を発生させるわけです。

そして、この恐れは、毒親が持っている「子供(環境)をコントロールをしたい気持ち」と同じです。あなたは、親から「世の中は全て見張ってコントロールしていないと、恐ろしいことが起きる」と言う恐れを受け継いでしまっています。

ですから、それを解消するために、まず自分が怖いと思うこと、恐れていることを紙に書き出してください。(手書きがおすすめです)

・会社の人に嫌われたら、仕事ができない
・失敗したら、責められる
・本当の自分を出すと嫌われる
・本音を言っても、理解してもらえない

この恐れは、現実化した場合、どれくらいあなたはダメージを被るのでしょうか。まず、それを真剣に考えてみてください。もちろん、このご時世、収入源や自分に愛情を与えてくれる人との繋がりは大切です。しかし、このまま老後まで自分を殺し、我慢して生きて、あなたは本当に幸せですか。

あなたが我慢して我慢してやっと均衡を保っているような職場で、あと何十年働けるでしょう。あなたが本当の自分を出した時に愛してくれない恋人は、本当にあなたのことを愛してくれる人でしょうか?残りの人生、嘘をついて猫を被って自分ではない誰かのフリをして生きていくことに、意味はあるのでしょうか。

仮に、孤独になっても人は死んだりしません。むしろ、自分が望まなければ、本当に孤独になることはあまりないのです。自分を出して、周りの全員嫌われて人が離れていってしまった場合は、そのうちに自分に合う人が近寄ってきてくれます。

それでも周りが自分を敬遠する場合は、自分の内側にかなり大きな問題があるので、遅かれ早かれ自分に向き合う必要があったというだけ。そういうタイミングだったのです。

人生は、その時、その瞬間、あなたに必要なことが必然で起きています。どんなにあなたが望んでいることと逆なことが起こったとしても、ありのままの今を受け入れてみましょう。

これは、あなたが幼少期、親にしてもらいたかったことではないですか?問題を起こしても、上手くできなくても、親としてそんな自分を受け入れてほしい、そう思ったことはないですか?

もしそうであるなら、大人になった今、親から与えてもらえなかったものを、自分自身で与えてあげましょう。そうすると、不思議と楽になっていきます。

自分に戻る

「恐れを知る」ということは、ほとんどが「自分の不要な思い込みを知る」ということです。

もちろん、何の恐れもないという悟りの境地に行けば素晴らしいですが、人間一つや二つは怖いことがあるものです。しかし、それを過度に恐れすぎると、不思議なことにその恐れが現実化してしまうという現象が起こります。

要するに、あなたの意識がそこに集中しすぎているので、そういう現実を引き寄せてしまうのです。ですから、「〇〇になったら怖いけど、まぁなったらなったでなんとかなるでしょ」くらいの軽さが必要です。

そして、人は大抵親や社会から、自分とは違う恐れを色々と引き継いでいます。それに気づいて、それを外すことが大切です。そうすると、自分がどういう人間か分かるようになってきます。

例えば、「人に嫌われることが異常に怖く、たくさんの友人に囲まれていたい」と思っていた人がいるとします。しかし、自分に向き合っていくうちに、「友人は大切だけど、1〜2人いれば自分は満足なんじゃない?」「むしろ、そんなに人付き合い好きじゃないんじゃない?」と言った形で、自分の本当の望みに気づき始めます

それが「自分を取り戻す」という作業です。

自分の意見が言えない人は、世間一般の良い子でいようとする傾向がありますが、世間のいい子は大抵ネガティブな感情を抱かず、個性のない外向的な人です。しかし、ネガティブな感情を持たない人間なんて、この世に1人も居ないのです。

誰にも嫌われないことは、誰にも好かれないことと同じです。個性がないからです。あなたは自分らしく、自分と波長の合う人に好かれ、そこそこ嫌われて生きていくのと、誰にも嫌われず好かれずに生きていくのとどちらが良いですか?

後者の人生も悪いわけではありません。しかし、もしも生きづらさを感じているならば、今が本当のあなたを取り戻す時なのかもしれません。

少しづつ感情を出す練習をする

具体的に自分の意見や感情を表現できるようになるには、当然練習が必要です。

ステップ1は、自分の感情を感じられるようになること。

これは自分の欲求を自分で聞いてあげることです。例えば、スーパーやコンビニに入った時、色々と細かいことは考えずに、「今日は何が食べたい?」と自分に聞いてあげます。お金が、健康が、糖質が、などということはあまり気にせず、自分の気持ちや意見をあなたが聞いてあげるのです。

もし、何かの事情でそれが叶えてあげられない時は、そう思った気持ちだけは受け入れてあげてください。それがどんなに現実的でない願いでも、わがままでも、不条理でも、絶対に自分を否定しないことです。

また、モヤモヤするときは、心の中で「今どんな気持ち?」と聞く癖をつけてください。最初は何も感じないかもしれませんが、段々「嬉しい」「悲しい」というのがわかってきます。大切なのは、聞いてあげること、そこに注目してあげることです。

これを無視することをセルフネグレクトといいます。まずは誰でもない自分に注目し、気を使ってあげてください。自分の意見を言えない人は、人に気を遣う技術はプロですので、その素晴らしい才能を自分に使ってあげればいいのです。

ステップ2は、それを周囲の人に少しづつ話すようにしましょう。きつい言い方ではなく、穏やかに「自分はこう思っている」と話せる人に言うようにしてください。

「嫌だ」「やめて」などの自己主張は最初はハードルが高いと思いますので、嬉しい、楽しい、好きなどのポジティブな言葉を話してみましょう。例えば、恋人に自分の本当の好き嫌いについて話してみる、などです。ポイントは感情について話すことです。(みんなは良いと言うけど、自分は実はそうは思わない等)

ポジティブな自己表現はできるのに、自己主張が出来ない人は敢えて小さな出来事から「NO」を言う訓練をするといいです。(会社でお菓子を配っている⇨「今ダイエット中なので大丈夫です」と言う等)

また、断り方の方法を覚えることも大切です。相手に合わせるだけではなく、自分の都合を相手に伝えることは、パワーバランスを対等にすると言う意味でとても大切です。

例えば、残業を毎日頼まれてしまう人は、「今日は難しいのですが、明日なら可能です。どうでしょう?」と別の案を提案してみるなど、調節してみてください。

それでも自分の都合を押し付けてくる人は、職務上の立場や関係性を使って、あなたを利用している人です。絶対に帰らなければならない理由がある、と言うことにして、無理矢理にでも帰ってください。最初はドキドキするかもしれませんが、あなたにも他者と同様に最低限の労働以外には、自由に動ける権利があることを思い出してください。

あなたを利用している人は、あなたの親でも、あなたの人生を左右するほど大切なキーパーソンでもありません。そして、今までと違った人生を望むなら、今までと違うことをする必要があります。ですから、思い切って今まで出来なかったことをしてみてください。

小さいことから、少しづつ、失敗しても大丈夫です。また次チャレンジすればいいのです。

自分の意見を言える人

自分の意見を堂々と言える人というのは、自己肯定感が高い人です。

この時、彼らは自分の意見が正しいから主張しているのではありません。「間違っているとしても、自分はこう思う。だからそれを人に伝えてもいい」と許可することが出来ているのです。

言うなれば、彼らは自分の心の中に、自分の居場所がきちんとあります。

自信がない人は、自分の心の中の操縦席に自分以外の誰かや何かが居座っており、自分は隅の方に追いやられています。操縦席には、親や兄弟、先生、常識、社会、上司、子供、お金、時間などが置かれている場合が多いです。

しかし、あなたはあなたの人生で、自分を主人公として大切にする義務があります。そして、自分を大切に出来ない人は絶対に他人を大切にすることも出来ません。これは断言できます。

あなたの心の中に、あなたを押しのけて居座っているのはどんなモノでしょうか。そして、それはあなたよりも大切なものや人でしょうか。

まずは自分を優先しましょう

他人のために頑張る人は世間では良い人とされていますが、誰かのために犠牲を払えば、必ずそのツケはどこかに出てきます。そしてそのツケは自分ではなく、自分より弱い人、優しい人など、周りに押し付けられることが多いのです。

例えば、「子供は自分より大切にすべき」と思っている人がいたとします。それが気持ちよく、自分の幸福として出来る範囲内でなら、素晴らしいことです。しかし、日々あなたが無理をして、自分を粗末にし苦しんでいれば、子供はあなたの辛い感情を一緒に感じ、我慢します。それは子供にとって本当にいいことでしょうか?「親にもっと幸せでいて欲しい」。子供の頃、あなたもいつもそう思っていたのではないでしょうか。

この子供の部分に、他のものを入れ替えても結局同じことです。

時間やお金ばかり優先し、「そんなこと欲してはいけない」「贅沢はだめだ」と自分の感情を抑えて、我慢してばかりいませんか。将来のことを考えすぎて、今を苦しめていませんか。当然、調節や我慢は必要なシーンもありますが、こういう人は、あまりに過度に自分を粗末に扱いすぎていると思うのです。

好きなものは好き、嫌なことは嫌でいいのです。本来、感情は沸いてくるもので、自分でコントロールしたり、自分のいいように変えることが出来るものではありません。まず、そのどうしようもない、変えられない事実を受け入れてください。

人は幸福になる義務があります。何故なら、不幸な人は周りの人も不幸にするからです。(当然不幸を表現し美しいものを作るアーティストなどは別です。そして、ネガティブ=悪いものではありません。)

しかし、どんな感情を感じていたとしても、あなたが今幸せでいること、これが一番何よりも大切であるということを知ってください。あなたは幸せになっても良いし、あなたが幸せだと周りもそれだけで幸せなのです。あなたが幸せでいるだけで、周りに与えられる幸せがあります。

あなたは今何を我慢していて、何に恐れていますか?そしてそれらは、本当にあなたが生きていけなくなるほどあなたを脅かすものでしょうか。

エジソンがそうであったように、「失敗は成功の父」であり、あなたが成長しようとチャレンジした証拠です。誰になんと言われても、そんな自分を許してあげましょう。それは他者に対しての優しさもなります。

今のあなたの現実は、あなたの理想ではないかもしれませんが、あなたはあなたなりに頑張って今があるのですから、そんな自分を「よく頑張っててきたよね」とただ受け入れてあげてください。これが自己肯定であり、自己受容です。

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