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いじめられる方が悪い?実は、悪いのではなく〇〇〇〇〇!いじめられる理由と特徴も

心理学
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子供でも大人でも、大小関わらずいじめ問題について、「いじめられる方が悪い」という意見があります。

反して、「いじめる方が100%悪い」というのが、昨今の定説です。ここ最近は、特に数十年前のいじめが表沙汰になり、大変な騒ぎなった人もいましたよね。いつの時代も、人の悩みは人間関係がほとんどのようです。

もし、現在いじめられられている人、そこまでではなくとも攻撃的な人のターゲットにされやすい人、または他人をいじめたいような気持ちになり、それを辞めたいという人居ましたら、まずはどうしていじめが起こってしまうのかという『いじめの仕組み』について知っていただきたいと思います。

それが分かることで、自分をよく知ること、そして少しでも現状を変えていくきっかけが見つかるかもしれません。

興味のある方は、是非最後までご覧ください。

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いじめられる方が悪いのか?実は、悪いのではなく〇〇〇〇〇!

まず、最初に「いじめられる方が悪いのか?」問題について、結論をお話しします。

いじめは、いじめられる方が悪いのではなく、「原因がある」です。

こういう話をすると、「何の原因もない!いじめる方が100%悪い!」と怒る人も居るわけですが、ではなぜ、いじめられる人は他のいじめられていない人の中から選ばれてターゲットにされているんでしょうか?たまたま地雷を踏んでしまっただけで、運が悪かっただけなのでしょうか?

ケースによってはそういった場合もあると思いますが、いじめられていた人が転校しても場所を変えても、いじめられたり、パワハラ・モラハラ・DVに合ったりするのは何故でしょうか?

大前提として、私はいじめを推奨しているわけでも、いじめている人を擁護するつもりもありません。ただ、いじめが起こる背景には、なんらかのルールがあるという風に感じています。その隠されたルールを見つけ出さないことには、いじめのループから抜けることはできません。

ですから、自分の中にある原因を見つけ出し、その悪循環から抜け出すために、いじめの仕組みについて記事を書こうと思いました。

そして、「いじめられる方に、いじめられる原因がある」からと言って、いじめられる人が「悪い」わけでも「ダメ」な訳でも「問題がある」わけでもありません。原因があることと、それが是正すべき欠点かどうか別問題です。

いわば何かしらの種のようなものや、特徴があるだけで、それがあるからといって、その人をいじめていい理由にはなりません。いじめられる人だって、他の場所ではいじめに合わないこともあります。ですから、やはりいじめる人に問題があるのは事実です。

ですから、いじめられてしまう、いじめられたことがある人は、(やっぱり自分に問題があるんだ…)と落ちこ込まないでください。何か理由がある可能性はありますが、それは見方によっては特別な才能や能力です。

相手から攻撃される理由が分かれば、そこをどうやって変えていくか、そこから逃れられるのか、そして同じ状況になるのを防げるのか、が分かります。

もし、それを「知りたい」と思ってくださる人は、以下ご覧ください。

いじめの仕組み

いじめの仕組みは、劣等感をもった攻撃的な人間が、劣等感をもった内向的な人間を攻撃することです。

いじめのパターンによって、そうなる背景や原因は様々ですが、よくある「大人しくしているのにいじめられる場合」は、大抵これです。

加害者側・被害者側それぞれがそうなっていく流れを、以下に簡単にまとめました。

いじめる人

親に愛されていないと感じる→劣等感を持つ→色々な事を我慢し、ストレスを溜める→誰かや何かでウサ晴らししようとする→ターゲットの中に劣等感やエゴを感じる→いじめる

いじめられる人

親に愛されていないと感じる→劣等感を持つ→色々な事を我慢し、ストレスを溜める→いじめる自分が悪いと思い自分を責める→偽りの自分を作り、人に気を遣う→いじめられる

この「親に愛されていないと感じる」は、本人の思い込みの場合もありますし、虐待やネグレクトなどの分かりやすい暴力の場合もあります。

一番多いのは、表面的には愛しているようなふりをしながら、子供を利用したり、自分の理想を押し付けありのままを受け入れないという精神的虐待です。外からは見えず、自覚もしづらいので「うちの親や家庭は普通」と思い込み、今現在も原因不明の精神的不調に悩まされている人は多いです。

細かい詳細については、追って説明していきますので、まずはいじめられる人はどんな特徴を持っているのかを見ていきましょう。

いじめられる人の特徴

いじめられる人には、以下の特徴があります。

いじめられる人の特徴
  • おとなしく内向的
  • 優しい
  • 攻撃性が低い
  • 思いやりがある
  • 人に気を使う
  • 親や先生の言うことを聞くいい子
  • 突出した個性を持っている
  • 自信がない
  • 実は、精神的に強い

この様々な特徴は、大きく分けて3つに分類することが出来ます。

それは、女性性が強く、いい子で、個性が強いことです。

女性性が強い

いじめられる人の特徴①は「女性性が強い」です。

人間は、男性性と女性性の両性を内的に持ち合わせています。

男性性の特徴は、外に向かうエネルギーです。与える、自己主張する、行動する、など凸のエネルギーであり、そこに悪意が加わると攻撃のエネルギーとなります。

反面、女性性は内側に向かうエネルギーです。受け入れる、愛する、支える、などの凹のエネルギーであり、それがネガティブな方向にいくと、うつ病になったりします。

いじめられる人は、大抵女性性が強いか、内向的です。

何故なら、もしいじめたことで10倍返しでコテンパンにやり返しそうな、いかにも強そうな人であれば、誰もその人をいじめようと思わないからです。「やってもやり返さなそう」と思われているのです。

結局、いじめという形をした攻撃はいじめっ子側の感情の発露なので、それを(受け入れてもらえるはず)、そう思っているのです。これは、心の中に甘えがある証拠です。

女性性が強く内向的な人は、感情や行動が自分に向かいます。普通、いじめられ相手が許せない場合、暴れるなり、正当性を主張するなり、相手が泣いて謝らせるレベルでいじめ返すなりしますが、いじめられる人は(自分が悪いのではないか)などと自分を責めてしまいます

そして、もしその感情が外部に向かうとしても、それはいじめっ子ではなく、自分より弱い何か(子供や動物)に向かうのです。(これが家庭内暴力の仕組みでもあります)

ですから、いじめる側はその攻撃性が自分にそれが向かってこないことを匂いで嗅ぎ分け、選んでいるわけです。

いい子

いじめられやすい人は、基本的に「いい子」です。

窓ガラスを割ったり、先生や親に暴力を振るったりする子ではない、いい子であることが多いです。(そういう子がいじめ返されて、最後にターゲットになる事もありますが)

いい子は、家でも親のいうことを聞きます。むしろ、親の意見や希望を言われる前に察し、その通り動きます。これは自覚している人としていない人がいますが、幼少期、家庭で十分に「子供」としての役割を出来ていなかったタイプは、こんな風に人の考えを読んで動いてしまう傾向があるのです。

子供は、わがままで自己中心的で天真爛漫です。親が成熟した大人であれば、感情を思いっきり表現したり、何も考えず遊んだり、わがままを言ったり、親に甘える子供を受け入れ、育てることが出来ます。

しかし、親が未熟であったり家庭が複雑であったりした場合、子供は「親を助けるために、早く大人にならなければならない」と思い、子供である自分を封印します

例えば、両親が離婚し、1人親に負担が大きすぎたり、精神的に不安定だった場合、(物理的にも精神的にも親を支えないと!)と思い、親を助けるために子は「子供らしさ」を表現せず、大人びた振る舞いをするようになるのです。

例えば、家事を積極的に手伝ったり、親を感情的に支えるため親の話や愚痴を聞いたりします。これは親と子の立場が逆転しているとも言えますし、または親のパートナー代わりの存在になっているとも言えます。

こういった特殊な場合はまだ理由があるだけマシですが、親が単に未熟で

  • 不安が強い
  • 余裕がない
  • 過保護・過干渉
  • ネグレクト
  • 兄弟姉妹との比較
  • 愚痴が多い
  • 喧嘩ばかりの夫婦関係
  • どちからが家庭内で孤独
  • パートナーへの不満を子供で晴らそうとする
  • 虐待

など、親としての役割(子供を守る、愛する、先生になる)を果たせていない場合、子供はそれでも親を守ろう・愛そうとするために、自分の人生を自分らしく生きることを潜在意識下で諦めます。親に迷惑をかけず、「親が満足する、親を幸福にする人生を送ろう」と決意するのです。

こういった決意をした子供は、自分の感情を抑制するいい子になります。相手の感情に配慮し、よく気が利き、勉強ができ、聞き分けがよく、親や先生に迷惑をかけない、しっかりした子供になるわけです。「子供の頃から手がかからなかった」と言われたことがある人は、無意識にいい子をやってきたタイプが多いかもしれません。

こうなると何が問題かというと、本来全ての人間の中にある、本音や感情、または影の部分が抑制されます。わがままで、傲慢で、自由で、勉強せず、自分の好きなことだけしていたいような、あまり人には「良い」とされない部分を「無かったこと」にしてしまうのです。

要するに、人に評価される自己であるために、本来のありのままの自己を心の暗い奥底に閉じ込めてしまうのです。そして、そのうちにその存在は、自分でも忘れてしまい、自分でも気づかないうちに無意識に他人の要求に応えてばかりのいい子が出来上がるわけです。

個性が強い

いじめられっ子の大きな特徴としての3つ目は、「個性が強い」です。

個性が強い人はエネルギーが強い人であり、同時に何かしたらの「偏り」がある人です。本人はそれを隠していたり、自覚していなかったりしますが、「この人は何か違う」ということを周囲は敏感に感じとります。ですから、一見普通のような容姿で普通に振る舞っているように見えても、その奥に普通ではない何かを感じた場合、排除される場合があるのです。

これは分かりやすい例ですが、有名な芸能人などが、すごく美しかったり魅力的だったりするのに、「学校でいじめられていた」という過去があったり、「浮いていた」「友人がいない」というお話をしていることはありませんか?

学校や会社、家族もそうですが、人間は動物ですので、自分と似ている、同等の存在を集めて集団を作ります。その集団で役割を作り、機能させることによって、生き延びようとする習性があるのです。

その中で、例えそれが「良いもの」であったとしても、自分たちとかけ離れた能力を持っている人は歓迎されません。出る杭として扱われ、集団を破壊するもの=自分達の死に繋がる可能性として排除されるのです。

例えば、女の子の集団の中に一際美人な人が居たとしましょう。本人が謙虚であったり、本人がその美貌に気が付いていなくとも(親から嫉妬され、逆に見た目を貶されていたりするので気づいていない場合も多い)、男性に注目されることでしょう。

そうすると、次に同性からの嫉妬の対象になります。抜きん出た人間が1人居ることで、男性がその女性に集中するので、集団の中でバランスが崩れるのです。結果、その女性はその集団に居ることが苦痛になり、いじめなどで排除されることになります。

嫉妬ではなくとも、憧れや利用の対象になることも多く、本人がそれを望んでも対等で平等な人間関係を作るのは一般的な容姿の人からすると難しいです。

見た目のようにわかりやすいものであれば良いのですが、その才能や能力が目に見える形で現れていなくとも、それは周囲の人間に「普通ではないエネルギー」として伝わります。「なんとなく怖い」とか「なんか違う」とか、そんな風に感じるわけです。

本人はそれが普通ですし、特にその特殊なエネルギーを(嫌われたくない)(目立ちたくない)などの理由から封印している場合は、余計にその事に気づくことが出来ません。

なぜみんなと同じように振る舞って大人しくしているのに、自分がいじめられるのかがよく分からないのですが、周りからは「なんとなく異質な人間」に見えています。

いじめる人の特徴

いじめる人の特徴は、以下の通りです。

いじめる人の特徴
  • 承認欲求が強く外向的
  • 攻撃性が高い
  • 共感力の欠如
  • 人に気を使わない
  • 反抗的な人格
  • 能力が低い
  • 自信がない
  • 実は、精神的に弱い
  • 過度のストレスを感じている

いじめられる人の特徴と同じように、大きく分けると「男性性が強い」「共感性の欠如」「ストレス過多」の3つです。

男性性が強い

いじめる人の特徴①は、「男性性が強い」です。

生物学的な性別がなんであれ、人間はエネルギーが外向きに向かう人と、内向きに向かう人がいます。場所や相手によってそれが変わることもありますが、やはり傾向として、外に出るか内に出るかはあります。

男性性が強い人は、概して思考が強く行動的、そして精神的に弱い傾向があります。自分の感情も自分で向き合うのではなく、外に発散することで解消しようとするのです。

もちろん男性性が強い=いじめる人間、というわけではありません。これに、その他の要素が複合的に絡み合い、極端にネガティブに傾いた場合、そうなります。

例えば何か嫌なことがあった場合、スポーツでそのモヤモヤを発散しようとするのは、とても健康的かつ外向的なエネルギーの発散の仕方です。反して、本を読んだりして1人でリラックスし、ストレスを手放そうとするのは内向的な方法です。

これがネガティブに偏ると、外向きのエネルギーは何かを壊したり喧嘩をしたりなどの破壊衝動になったり、内向きのエネルギーは鬱病になったりします。

世の中で起きている事件を見ていても分かるように、普段は大人しくても自分の中のネガティブな感情をコントロールできず、そのストレスを他人に向けている場合、加害者となります。

通常はその怒りを、努力や反骨精神などに変えて表現し昇華していきますが、精神的に幼稚だとそれを個人で行うことができません。

そういう人は、普段からハイエナのように、自分のネガティブな感情をぶつけるターゲットを探しています。

共感力の欠如

いじめる人の特徴②は、「共感力の欠如」です。

普通、人間は成長するに当たって共感力というものが育ちます。例えば、目の前の人が泣いていたら自分も心を痛めますし、辛い思いをしている人がいたら、助けようとするなどです。

この共感力というのは、基本的には生まれたばかりの赤ちゃんにはほとんど無く、人間が成熟していくにつれて育成していく能力です。これは脳機能の発育とも関係するので、「使用している脳領域が発達する」とも言い換えることが可能です。

生まれたばかりの赤ちゃんは、周りの人のことなど考えずに自分のやりたいことをやりたいように行動します。「お母さんが眠そうだし、近所迷惑だから…」といって、夜泣きを我慢しません。おむつが汚れたら泣きますし、お腹が空いても泣きます。早く快適な状態にしてもらいたいだけで、親に面倒を見てもらうからといって、「申し訳ない」などの罪悪感も抱きません。

これは素晴らしいことで、人間の素直で健全な成長の過程です。

しかし、大人になって中身が赤ちゃんのままだと問題が発生します。メンタルが幼いまま行動力や思考力だけが発達すると、自分の利益や満足を得ることしか考えておらず、やたら人に迷惑をかけ時には人に危害を加えても何の良心の呵責も起きない(時のはその判別がつかない)人間が出来上がるのです。

この「共感力の欠如」というのは、サイコパス・ソシオパス、または自己愛性パーソナリティ障害などによく見られますが、どちらにしろ「精神的に未熟であること」は確かです。(サイコパスは先天的な脳の問題ですので、少し違いますが)

それがいじめであっても犯罪であっても、よほどの理由がない限り普通の人は相手に攻撃を加えることに躊躇します。それは我慢しているのではなく、相手に無意識に共感してしまうので「出来ない」のです。

人間の中には、暴力性や破壊衝動もあります。怒りを我慢できなければ、相手に危害を加えることもありますが、同時にそれを抑制する善性や共感力、自立心を少なくとも育成することは出来ます。

今のところ、そういう人ばかりではありませんが、共感力が欠如し、平気で人を傷つけることが出来る人が未熟なことは確かです。

過度のストレスを感じている

いじめる人の特徴③は、「過度のストレスを感じている」です。

人間は、幸福の絶頂にいるときに誰かを恨んだり、いじめたりすることは出来ません。どれだけ金銭的に恵まれていても、社会的な地位があっても、輝いているように見えても、心が満たされていない時に、人は人を攻撃します

また、いじめる人は、別の場所で「いじめに近い攻撃」を受けていることが多いです。例えば、親から過度の期待をかけられプレッシャーで過度のストレスを感じている、などです。そのストレスを自分で処理することが出来ないので、自分の攻撃を受け止めてくれそうな誰かをいじめることで発散しようとします。

しかし、そんなことはいじめられる人や、周りの人には関係がありません。それに、「実はこういう事情があって…」など自分のことを周りに話せば、受け入れ誰かとの関係が深くなるきっかけになる可能性もありますが、自分のネガティブな感情を受け入れることすらできず人に押し付けている時点で、本人の人間性がその親と同じレベルか親よりも未熟なのです。

あまりに幼いと、自分がストレスを感じていることに気づいていないこともあります。(中には大人になっても気づいていない人もいますが)

大体は親が原因で、表面的に優しくしていても精神的に過干渉であったり、子供のありのままを受け入れず、子供がそのストレスに我慢できていないことが多いです。

だからと言って、いじめの原因=親という訳ではありません。人間はある程度までは育った環境に強く影響されますが、成長していくにつれて自我が出てきて、自分の意思でどう振る舞うかを考えます。ですから、環境に加えて、その人の人間性が強くネガティブ&外への攻撃(依存)に傾いた時、いじめなどの問題が起きる訳です。

いじめる側といじめられる側の共通点

いじめる側といじめられる側、それぞれの特徴として、相違点をあげましたが、中には共通している要素もあります。それは心の中に劣等感を隠し持っていることです。

これは、「自信がない」とか、「自己肯定感が低い」という風にも言い換えることができます。

いじめられる人はたくさんいますが、中にはいじめを跳ね除けてしまう(逆にいじめ返す)人たちも居ます。彼らは、一時的にいじめのターゲットにされてしまうことはありますが、問題が長期化したり、人生で繰り返されることはあまりありません。

繰り返しいじめやパワハラ・モラハラに合ってしまう人と、彼らとの違いは何なのでしょうか?

彼らは、基本的に「自分のことは自分を守る」という意識を持っています。必要な時は暴力を用いてでも、です。中には反撃の手法として、一切相手の行動を無視し反応しない人もいますが、それが暴力でも非暴力でも相手に屈しない人たちの共通点は「相手より自分を下に置かないこと」といえます。

自分は大切にされる存在であり、粗末に扱われるのは間違っている」と思っているので、自分に向けられる暴力対しても自信を持って抵抗することが出来ます。

相手=強者・加害者、自分=弱者・被害者という風にしないわけです。

しかし、いじめに合い続ける人というのは、心のどこかで「自分という人間には何か問題があり、いじめられるにふさわしい人間である」という考えに自ら同意してしまっています。

本人としては、「どうしてもやめてって言えない」「やめてと言ったがやめてくれない」「親をがっかりさせたくない」「将来が」「お金が」など、やむを得ない事情があるように思っていますが、自己肯定感の高い人にとって、これらは全て「大切な自分よりは、どうでもいいもの」なのです。

いじめっ子は、いじめられる側の心の中にこういった自己卑下や無価値感、劣等感があることを見抜きます。また、こういった心理は行動や言葉端に出るので、よく見ていたら分かるのです。

表面的には自信があるようでも、いざというときに嫌なことを嫌だと言えないとか、腹の立つことを言われても流してしまう、など、相手と境界線をはっきり引かない「自分で自分を粗末に扱う行動」は、攻撃的な人間を刺激します。最初は小さい出来事が、段々大きくなり、やがて大きな暴力になっていくのです。

そして、またいじめっこも同じように劣等感を感じています。家で兄弟姉妹と比べられていたり、両親に厳しくされたりなど、十分な愛情を与えてもらっておらず、心がまともに成長していません。

真に愛されたことがないので自分に価値を感じられず、「いじめる人間」に自分を落とします。こういった人は、人をいじめることで一時的にはサッパリするかもしれませんが、「自分は人をいじめる人間だ」という事実は、潜在意識の中で深くその人を辱めます。

いじめっ子は、基本的に精神的に弱く、自分と向き合うことが出来ません恐怖や罪悪感などのネガティブな感情を感じることが怖いために、感情を抑制しているのです。だからこそ、そういう非人道的な行為が出来るのですが、感情を感じてしまうと自分の行為について罪悪感を感じることになり生きていけませんので、意図的に加害行為を忘れています

しかし、深い意識では、そのことを忘れることは絶対に出来ません。そうすると、その人が本当に自分のことを心から愛するのは格段に難しくなり、自分の「ここぞ」というシーンで、無意識のうちに台無しにするような行動を取ったりなど、周囲から見ると不可解な行動として表に出てきます。

中には、本当に共感力がないサイコパス・ソシオパスタイプも居ます。このタイプは1mmも後悔はなくあっけらかんとしており話が通じませんが、それ以外の人は基本的には「まともに思い出すと、恐いから忘れる」という手段を取ります。表面的には自己正当化のため否定しても、心の奥底では自分が悪い事が分かっているからです。

いじめっこは、ある意味で何らかの被害者だったことが多く、とても傷つき苦しんでいます。しかし、DVを受けた人が自分の子供にDVをしてしまうのと同じように、結局自分も他者への人権侵害を行なっているので、この人たちは自分が受けた痛みから何かを学んで人に優しくするということが出来ない弱い人間なのです。

いじめる人がいじめられる人を選ぶ基準

いじめる人がいじめられる人を選ぶ基準は、関係性のパターンによりいくつかありますが、おおよそこのどれかに当てはまるかと思います。

自分より表面的・肉体的に弱い

特に、子供や動物・女性を虐待したり、学校にいる大人しそうな人のいじめなどは、肉体的な面でこの傾向が顕著です。

他には、気が弱そうとか、優しそうとか、気を使うとか、表面的に精神的暴力で制圧できそうな人も同じです。(本質というよりは表で見せている態度が重要です)

彼らは自分が同等の力を持っているはずのステージでは勝てないので、絶対に自分が勝てる相手と分野で勝とうとします。

どちらにしろ、「相手を自分が支配できる」と考え、他者を完全にコントロール出来ることで劣等感を消そうとします。こういう人は、今まで書いてきたように、大抵親から強烈な劣等感を植え付けられており、そのネガティブな感情に勝てないのです。

また、親が子供を虐待する場合は「自分を親として愛しているのだから、こんな自分も受け入れてくれるはず」という甘えと傲慢がどこかに隠れています。子供は自分を裏切らないだろうとか、拒絶しないだろうと考えています。これも結局、「親が子供を受け入れる」という基本的な姿勢が取れず、子供に親がわりをしてもらっているようなものです。

親はヒステリーに怒鳴り散らしていても、感覚的には2歳児のイヤイヤ期のようなものなのですが、自分より何倍も大きい体で、自分を守ってくれるはずの親が赤ちゃんのようになっている様は、子供にとっては強い死への恐怖を感じる原因となります。

自分より精神的に強い

モラハラ・パワハラや、DVなどはこの傾向が顕著です。

この項目に加え、肉体的に弱いこともその行為に拍車をかけますが、大抵自分より立場が弱かったり、目下である人で、精神的に強い人はターゲットになります

これは意外かもしれませんが、いじめる人というのは基本的に精神的に本当に弱い人です。自分の問題点に向き合うことができず、その問題を相手の問題だと勝手になすりつけ、怒鳴り散らかすことで自分の正当性や強さを確認しています。

反して、いじめられる人は基本的には精神的に強い場合が多いです。渦中にいると、「そんなことない!」と思うかもしれませんが、いじめ行為に普通の人は耐えられません。本人は耐えざるを得ないと思っているかもしれませんが、少しでも耐えられていることがすごいのです。(その忍耐力を別の方向に向ければ、素晴らしい成果が挙げられるほどすごいんですよ!)

前項と一部相反しているようですが、要するに、いじめられても我慢して自分に責任を見出だそうと思える、その時点で心が強いのです。

そもそも、今現在の世の中、幼い子供以外は本気を出せば、日本中どこでも逃げることが出来ます。

本人は「それが出来ない理由」を色々と並べるかもしれませんが、逆に言えばその程度の理由で暴力を我慢できるというのは、精神的にものすごく強い、強すぎるくらい強い人たちなのです。

いじめを行う人は、それが肉体的であっても精神的であっても、「他人を支配することで優越感を覚える」という感覚を求めています。「自分は他者への影響力があって、強いのだ」と思いたい訳です。

実際は、正当な方法(好きなことを頑張る等)でそれが出来ていないので、いじめなどという極めて低レベルな方法でしか人と繋がれない人間なのですが、そこでこういう「表面的には弱く精神的には強いタイプ」が必要になります。

こういうタイプは、どこかで自分のいじめに耐えうる人に対して、憧れを抱いている場合があります。特にパワハラ・モラハラ・DVなどのいじめはこれです。

何故なら、精神的にある程度相手が強くないと、いじめは成り立たないからです。彼らは威張ったり殴ったりネチネチ言うことによって「自分はすごいんだぞ!」とアピールしていますが、その相手は自分が持っていない精神的な強さを持っている人だからこそ意味があります。そういう自分が憧れる強い人を支配することで、もっと自分は強いのだと勘違いすることが出来るからです。

どうでもいいことでケチを付けたり、急に怒り出したり、本質からズレた説教を聞いてくれそうな相手を探し、ネチネチと「自分が正しい」という話を長時間する人などはかなり重症です。

総じて男性、または頑張りすぎて男性性が強くなりすぎた女性が陥りやすい状態と言えます。

個性が強い

これは、芸能人が学校でいじめられるとか、何故か自分だけ仲間外れにされる人などはこのタイプです。

単純に、集団の平均値に入れない規格外の人は、それが普通より上でも下でも排除対象になります。そして、この中でも周りに強い影響を与える場合、いじめや暴力の対象になるのです。

ここは、いじめられる人の特徴と内容が重複するので詳しくは省略しますが、これは単に嫉妬が原因です。わかりやすい才能などももちろんですが、人と違う人を嫌悪する人は、同時にそういう人や生き方に対して憧れを持っていることが多いです。

例えば、特に日本は不倫に厳しいですよね。あの異常な批判は、嫉妬によるものです。自分は「自分とは違う生き方をしている人」を、ある側面では確かに軽蔑しているのですが、同時に憧れの目線で見ているのです。

自分とは違うし、正しくないことだし、そんな人生がよかったとも思わないけれど、自分が我慢していたことをしている人を見ると「生きられなかったifの世界の自分」を見ているようで、どこかで「羨ましい」と感じるのです。

これを心理学では「シャドウ」と呼びます。『LGBTであることを隠している人が、LGBTを公表して堂々としている人をいじめる』などがわかりやすい例です。心の奥底に隠しているもう1人の自分を認められなかったり無理に我慢している場合、嫉妬や批判になる場合があります。

嫉妬について知りたい人は、こちらの記事をご覧ください。

そして、このタイプで一番の問題は「自分の何がみんなと違うのかよく分からない人」です。このタイプは本人は気づいていませんが、おおよそエネルギーが強いタイプが多いです。

例えば、見た目も普通、勉強も運動も平均的、普段は大人しくしており、どこからどう見てもモブキャラなのに、何故か「男をたぶらかした」と意味不明な噂を流されたり、話したこともない人から嫌われたり、怖がられたり…もしそういう人がいるとすると、それらはエネルギーが強いからそこ出てくる現象です。

エネルギーというのは生命力とも言い換えることが出来、バイタリティ、セクシャリティ、クリエイティビティ、性欲、魅力、などです。黙っていても人に影響を与えるほどですから、その潜在的なエネルギー値は突出しています。

こういう人は無から有を生み出す力が強いので、そのエネルギーを上手く使うと、何かしらクリエイティブなことに使えます。そして、一旦やる気を出すと、周りが到底真似できないような凄まじい集中力、行動力を発揮します。

  • 企業
  • リーダー
  • 芸術(絵・歌etc…)
  • 子育て
  • 癒しの分野(占い・ヒーラー・カウンセラー)
  • 風俗や水商売(風俗は肉体ヒーリングのプロです)
  • エステ系
  • デザイナー
  • 企画
  • 発明
  • 芸能

その他にも、本人の興味のある方向に才能があり、普通にみんなと同じように安定第一で埋もれて生きていく人生ではない人です。

その眠った才能は、本来あるべき方向に発揮されるまでは「不可解で得体の知れない未知のエネルギー」「圧がすごい」「怖い」という風に人目に映ります。だからこそ、人は排除しようとしますし、遠ざけようとします。自分が潰されてしまうような気がするからです。

ちなみに、その人が周囲に害を与える場合(攻撃的で人を傷つける性格etc…)などもいじめの対象になりますが、これは少し毛色が違うのでここでは省きます。

他人を尊重し大切にしない人は誰でも当然嫌われますが、実はこういう人も自分の才能を上手に表現できていないだけです。彼らは精神性や自己愛を正当に学べていないのに、行動力はあるのでネガティブな方向に自己表現をしてしまっています。(いじめられっ子がいじめっ子になる典型)

弱いふりをしている

一番の肝はここです。

いじめられる人は、上述の通り個性も精神力も強い人です。そして、そういう人はそれぞれ生きる場所があるのですが、本人は自分に自信がなく、自分の事を過小評価しているので普通の人のふりをします。

強いのに、弱いふりをしている」とも言い換えることが出来ます。

反面、いじめる人は精神的に弱い人であると書きました。彼らが、弱いのに強いふりをしているのは分かりますか?

要するに、この関係性は表に見えている姿は反対なのですが、「自分を偽って生きている」という意味では同じなのです。

例えばなのですが、学校で1番の美女が「私はブスなんです…」と自分で言っていたら。もしくは、ある柔道部の大会優勝者が「俺なんか弱いし…」と下を向いてぐずぐずしていたら、周りはどう思うでしょうか?

内心(じゃあ、自分たちはどうなるんだよ!!!)、そう思うのではないでしょうか。

また、本当は性格が悪いのにいい人のフリをしている人の違和感って、なんとなく分かりませんか?こちらのことを嫌っているのに、気を遣って好きなふりをしている人なども同じです。

人って自分が思うより自分をよく見ているし、本質をよく見ています。時には周りの人の方が、よく見えることがありますが、こういうことをされた時、あなたはどう思うでしょうか。

「ばかにされている」「嫌なやつ」「嘘をついている」

ほんの少しでも、こんな風に感じる部分はありませんか?

「強いのに弱いふりをする」ことが、何故周りを怒らせるのかというと、これは周囲への感情のコントロールだからです。ありのままの姿ではなく、自分の利益のため意図的に作った態度で、相手が自分に与える印象を操作しようとしているので、周りはそのエゴを感じ、腹が立つのです。

いじめる人の心理

さて、今までいじめる側といじめられる側の特徴等を書いてきました。

次にもう少し、いじめる人の心理を見ていきましょう。

劣等感を感じる

今まで、いじめる人間は家庭環境に問題があり、親から安定的に愛されているという安心感をもらえずに生きてきたという話をしました。

それは様々な虐待(肉体的暴力・幼児虐待・日常的に暴力行為を目撃する等)であることもありますし、家や親からの過度の期待や親の罪悪感などの可能性もあります。

例えば、親に良い成績を取って良い学校に行って、良い企業に就職して、良い結婚をして…などと、その個人のパーソナリティや好き嫌いなどを無視して自分の理想を押し付けたり、表面的には「自由に生きて」と言いながら、内心(こうなってくれたらいいのに…)という方向に子供を誘導する等です。

見えない精神的支配の例

・「〇〇ちゃんは、ピアノとお絵かき教室、どっちをやりたい?」などと表面的には選ばせながら、自分の希望の方を選ぶように圧をかけたり、反対を選ぶとがっかりする。

・成績が悪い・勉強をしない・言うことを聞かない等、親の理想から外れると「気にするな」「あなたはあなたのままでいい」と口では言いながら、ため息をついたり、がっかりして陰で落ち込んでいる。または、兄弟姉妹と比較する。


こういう親の未熟さから来る心理的虐待は、何故か現代社会では「しょうがない」「よくあること」とされていますが、これは親の立場に居る人間が自己正当化のため、そう思いたいからそう言っているというだけのことで、根拠はありません。

「親子の心理が癒着し、親が子供の心理的な境界線を越境していること」と「子供の心を深く傷つけていること」から心理虐待といえます。親が「親子であっても別の人間であること」を深く理解出来ていないのです。

こういう行為を繰り返されると、子供は「自分はダメな人間なんだ」と劣等感を感じます。「ありのままの自分で良い」「ありのままで愛される」という自己肯定感を持てません。

そして、こうやってありのままの自分を否定され親に支配されてきた子供は、親の顔色を読み、相手の意に沿う行動をします。親との共依存関係に陥るのです。

恐怖を感じる

自分に根本的に自信を持てないまま、いじめっ子は育っていきます。表面的には快活で、元気かも知れませんが、それは劣等感のある自分を隠すための空元気かも知れません。

とにかく、自分がダメなことに気づかれないように毎日必死です。そして、家で我慢しているぶん、外ではワガママを言ったり、リーダーになろうとします。この時点で、いじめっ子は自己中心性や攻撃性、共感出来ないなどの暴力性が目立ってきます。

そんな中、いじめのターゲットになる人と出逢います。

いじめのターゲットになるような人は、大抵「強いのに弱いふり」をしています。(私は弱いですよ〜)という姿を周りに見せて、誰からも攻撃されないよう、人目を気にして大人しくみんなに合わせています。これは無意識にかも知れませんが、他人の心理に無断で入り込む、他者との心理的な境界線がない行為とも言えます。

普段、自分の劣等感と攻撃性を隠しているいじめっ子にとっては、そのエネルギーの強さ・自分が攻撃されないための周囲をコントロールする姿に、強い怒りと抵抗感、そして恐怖を感じます。

この怒りは、いじめられっ子に親を投影した怒りです。今まで自分を思い通りにコントロールしてきた親と似たようなことをする人間を見て、その姿を重ねてしまっています。

抵抗感は、(今まで自分は誰かの思い通りに振る舞ってきたが、もうお前の言うことは聞かない。お前の弱いふりに自分は付き合わない)と言う気持ちです。

そして恐怖は、今度こそ完全に自分が支配されてしまうことへの強烈な恐れです。相手が「自分の望む振る舞いをするよう、相手の感情や印象を操作する」という支配的な親と同じ特性を持っていることに加え、半端なく強いエネルギーを持っているので、更に強い支配の可能性に怯えています。

そして、もしも相手が「自分は強い」と言う事を自認し、人目を気にする生き方をやめたら、自分が「弱いくせに強いふりをしている」ことが即バレます。そんな相手に攻撃されたらひとたまりもありませんので、それも怖いわけです。恐れが強すぎて、若干被害妄想気味になっており、ありもしない現実を妄想しています。

支配

こういった強い感情を感じたいじめっ子は、(こいつを野放しにしておくと、自分が脅かされる)と感じます。

過去にそうされたように、自分を辱めれらると思うわけです。

普通に親に愛されて育った子は、ここでいじめられてしまう人とは距離を置きます。健全な距離感を家族で学んでいるので、「心理的に近づきすぎている」「お互い本当の姿で付き合えない」と思うからです。

しかし、いじめっ子は自分の攻撃性や恐怖心を、自分でコントロールすることが出来ません。親や周囲と心理的に癒着していたので、他者に精神的に依存しており、他者がまともな状態で居てくれなければ、自分もまともで居られないと感じるためです。

ですから、今度は自分が支配する側に回ることを決意します。自分が相手を支配下におき、コントロールできる状態にしておけば、自分は安心していられるからです。

たまに、いじめられた人が逃げても、いじめっ子が追いかけてきて更に虐めてくるのは、支配下に置いておかなければ自分が不安だからです。

攻撃

そして、最後は攻撃をします。

この攻撃は暴力や悪口、罵倒などですが、ここで感じる感情は大きく分けて2つあります。「恐怖」と「自己嫌悪」です。

まず、恐怖は先述のとおりですが、自分の恐怖心を相手にぶつけることで、自分の感情を受け止めてもらいたいと思っています。自分がどれだけ辛かったか、どれだけ恐いかを、理解してもらいたいのです。他人に甘え、他人をストレス発散の道具として利用しているわけです。

また、相手を否定することで、相手が反撃する気持ちを削ごうとも思っています。本気で戦えば絶対に相手には勝てませんので、相手が「自分は弱い」と勘違いしているうちに支配してしまおうと言う考えです。

そして、相手が自分の暴力に屈している姿を見て優越感を感じるとともに、誰かにすぐに支配されてしまう弱い自分を見ているようで、腹が立ちます。いじめっ子は精神的に弱いので、「心の弱いありのままの自分」を受け入れることは絶対に出来ません。

ですから、隠している自分の弱さを見ているようでもあり、同時に人前で「弱さ」を出せる相手に対して嫉妬のような苛立ちを感じているのです。

いじめられる人の心理

次にいじめられる人の心理をご説明します。

いじめられる人も、基本的にはいじめる人と心理的な流れは同じです。

しかし、彼らが劣等感を感じた背景は少し違っている可能性があります。

才能でいじめられる

「いじめる人の心理」の中の「恐怖」という項目で、いじめられる人は、「強いのに弱いふりをしている」と書きました。

彼らがどうしてこう言う事をするようになったかと言うと、どこかで「自分がありのままでいる」ことが、他人を怒らせたり、傷つけたり、驚かせたりする、排除やいじめの原因になるという意識があるからです。

彼らが劣等感を感じる原因は、いじめっ子と同じようにただただ親が未熟で支配されていることもありますが、それ以外にも大きく分けて2つあります。

  • 家庭での被害
  • 外での被害

です。(いじめっ子の中にも、一部上記に当てはまる人がいるかも知れません)

家庭での被害

心理的境界線がはっきり引かれていない機能不全家族の中では、全員が共依存関係に陥っており、お互いがお互いの責任をなすりつけ合い生きています。例えば、「子供の成績が悪いから、お母さんは笑顔になれない」などです。

母親の人生と子供の人生は別ですから、自分の機嫌を他人に取って貰おうとするのは依存心ですが、こういう家族はまともな距離感を親が理解していないので、それが当然になっています。

自分の機嫌を自分で取れない親を見て、子供は素直ですから、親の顔色を伺いごきげんを取るのは当然に自分の役割なのだと思い込みます。

そうやって足を引っ張りあっている家族の中で、特別な才能のある子供はスケープゴートにされることがあります。

防衛機制のひとつとして不満や憎悪、責任を、直接的原因となるもの及び人に向けるのではなく、他の対象に転嫁することでそれらの解消や収拾を図るといった場合(投影)の、その不満、憎悪、責任を転嫁された対象を指す。

参照:Wikipedia 「スケープゴート

要するに、いじめです。

親、または祖父母や親戚、兄弟姉妹が、自分を守るために家族の誰かを攻撃すると言うことが起こり得ます。そして、そのターゲットになるのは大抵その家族の中で1番才能のある人(大抵は子供)、賢い人です。

才能がある人は突出しており、個性も強いです。そういう才能の芽を見つけた場合、未熟な親はそれを生かそうとせずに嫉妬し潰そうとするか、自己防衛のために、その対象を攻撃することで更に突出しないようにしているのです。

そして、こういう家族に育てられ、なおかつ心が優しい人は自分の才能を嫌います。何故自分が怒られているのか分からないので、自分が悪いと思い込むことでその場を理解しようとします

さらに感情を殺し、自分の意見を言えなくなります。いつも親の感情を読んで、先回りして動く癖がつくのです。「自分<他人」で行動するのが当然になっているので、嫌なことを嫌だと言うことが出来ず、受け入れてしまいます。

言ったところで、暴力や精神的な攻撃で押さえつけてくるので、(どうせ何を言っても無駄だ)と諦めてしまう癖がついています。

外での被害

もしも、周囲の人たちに十分愛されて育ってきたと言う人の場合は、外でその被害を受けるのかも知れません。

保育園や幼稚園・小学校の時に、自分を出していて、先生や友達にひどく怒られたり嫌われたりしたことがある人は、同じように劣等感を持ってしまいやすいです。

周囲が比較・競争が激しかったり、日本の没個性を賞賛する風習が強い場合も同じです。「変わっているね」などと揶揄われ、「自分はみんなと違っている」と言う恥の感覚を覚え、劣等感を持ちます。子供のうちは、大抵その人の才能が開花する前ですので、そのエネルギーが暴発しているように感じ、周りは嫌悪するのです。

更に成長していくと、今度は過剰に絶賛して信者のような人が発生したり、強烈に嫌うアンチのような人が出てきたりします。

こういうことを繰り返していくうちに、(自分は誰からも理解してもらえない)という孤独感を抱え、結果自分の個性やエネルギーをさらに恐れます。こういった出来事から、「本当の自分を隠して、弱いふりをして生きていかなければ叩かれる」と思い、ありのままの自分自身を封印して生きることになるのです。

恐怖

そういう背景があるので、当然彼らは「他人が怖い」という感情を持っています。家族にしろ、友人にしろ、よく分からない理由で強い感情をぶつけてくる人たちが怖いのです。

ですから、「この人は安心できる」と確信を持てない限り、自分を表現することは出来ません。攻撃される恐れがあるので、怯えて、周りの顔色を見ながら相手の感情に気をつけて、生きています。

それが、不安定で意味不明な他者との関係の中で、生き延びるための手段だったからです。

その中で、いじめっ子と出逢います。いじめられっ子は、強い怒りを内側に溜めたいじめっ子の気持ちが分かりますが、その攻撃性(怒りを外に出すこと)に恐怖を感じます。

人の気持ちが分からない幼稚さが伝わり、その自己中心さに過去自分に理不尽な感情を向けてきた人の影を見ます。

支配

次に、いじめられっ子はいじめっ子も含め、周りが自分に特定の感情を向けないために、心理的な工作を始めます。おそらく無意識です。

いじめられっ子の持つ恐怖は、こんな感じです。

  • 嫌われること
  • いじめられること
  • 目立つこと
  • 嫉妬されること
  • 勘違いされること
  • 理解してもらえないこと
  • 自分を取り繕わなければ、受け入れてもらえないこと

今まで散々嫌な思いをしたり、他人に拒絶されてきたので、ありのままの自分で受け入れられるとは当然思えません

2度とこういう思いをしないため、傷付かないため、そして相手に嫌われて目を付けられないように、自分を取り繕います。

相手が気に入るような態度や、相手が気に入るような反応を無意識にしてしまいます。相手が気分を害さないように、気を使うのです。単に相手への配慮ならば、社交・思いやりとして受け取られますが、いじめられっ子の真の目的は、「自分が嫌な思いをしないこと」です。

こう言う人は本当に優しいのですが、その中には自分が可愛いゆえの行動があるのも事実です。目的が自分の利益のためですので、段々と周りはなんとなく腹が立ってきます。それが愛ではなく、恐れからのコントロールであることに気づくからです。

それに一番怒りを感じるのが、コントロールに敏感ないじめっ子であり、いじめられっ子が想像した通り、弱さから攻撃を始めます。

受け入れ

こういう経緯があると、いじめられっ子はいじめられた時、表面的には(なんで私?)と思うかも知れませんが、内心では(やっぱり私は否定されるんだ…)という思いを強くします

そして、過去体験したように、(どうせ何を言ってもこの人は聞かないだろう)(誰も助けてくれないだろう)という思いから、自己主張を諦めます。これを「学習性無力感」と呼びます。

学習性無力感とは、長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。

参照:Wikipedia 「学習性無力感

結果、自分はやはりそういう人間なんだ、という思いを深め、同時にいつか変わってくれるかもしれないと相手に理想を抱き、その暴力を受け入れてしまうのです。

いじめられた場合の対処法

今まで、どうして「いじめが発生するのか」を重点的に解説してきました。

次に、いじめられてしまった時、ターゲットにされてしまった時はどうすればいいのか具体的な対策と行動をご紹介していきます。

見抜く

いじめられた場合の対処法②は、「見抜く」です。

まずは、相手の劣等感や、弱さを隠したい気持ちを見抜きます

いじめっ子は、いじめることで「自分は強いのだ」ということを世界にアピール出来ていると本気で思っています。どんなに成長しても心は幼児ですので、これが本当に通用すると思っているのです。

ですから、いじめられた際には(あなたの弱さを見抜いていますよ)(一体どうしてそんなに怯えているのか)という態度で、しっかりを目を合わせ、じっと見つめてみてください。相手の中に潜む幼い子供と目を合わすのです。

いじめっ子は大抵自己愛に問題を抱えていますので、「自分が本当は弱いことが周囲にバレること」が一番怖いと感じています。誰かより優れていないと、尊敬されないと、すごいと思われないと生きていられないと本気で思っています。自分の行為が「虚勢」だということが相手に分かってしまえば、もうそういう行為は出来なくなくります。強者と弱者がそこで決まってしまうのです。

一部、こういう行為で暴力が加速する人が居ますので、他の項目も合わせて参照してください。

どちらにしろ、相手の「弱いのに強いふり」に同調し、「強いのに弱いふり」をして被害者になってしまうことは、お互いの支配欲求(エゴ)のぶつけ合いで、端的に言うとウソです。真実ではないことを、大真面目にやっているのです。そういう偽物の世界からはまずはあなたが離脱し、相手の茶番に付き合うことをやめてください。

相手の支配下にいれば安全だと思う人も居るかも知れませんが、そういう状態になってしまえば一生精神的な自由はありません。

投影であることに気づく

いじめられた場合の対処法②は、「投影であることに気づく」です。

「3つ子の魂百まで」と言う言葉を聞いたことがありますか?

人間は、3歳までに体験したことをその後の人生で繰り返し体験する、と言われています。もちろんこの連鎖の中で、不要なものは捨て、変わっていくことは可能です。

しかし人間は、苦しくともそれが慣れ親しんだものであれば、知らない幸福よりを差し置いて、安定のためにその現実を選んでしまう生き物なのです。

ですので、もしも過去にいじめられた経験がある人、家族との関係に問題がある人などは、いじめっ子に誰を投影しているのか、考えてみてください。

そして、その人は過去あなたを脅かした人ではないと認め、それを宣言しましょう。今は体も成長して、相手に「やめてくれ」と言えるくらい大人になっているはずです。そこに気づくだけで、変化が訪れる場合もあります。

やり返す

いじめられた場合の対処法③は、「やり返す」です。

これは相手とそのいじめの程度や内容によりますが、パワハラ・モラハラ系や、どうせやり返せないだろうと舐められている場合は有効です。

・相手が自分の弱さを隠すために攻撃していること
・こちらの非力さを利用している

この2つが揃っている場合は、この方法は有効です。パワハラ・モラハラ系の人は、相手を支配するためにいじめや嫌がらせという手段を使っていますが、これは自分が支配されやすいからです。支配されやすいからこそ人に対する恐れが強く、先に相手を支配しようとします

ですから、これは相手を見てどちらかを選んで欲しいのですが、2つ方法があります。

やり返す方法

① 相手が「あいつやべぇ…」と恐怖するレベルで、ガチ切れする

② 相手との心理的距離を空け、断固として冷静に拒否する

大抵、前者で接すると相手が冷静になるので、効果はあると思います。ただ、相手が「自分は正しい」という思い込みであなたにモラハラ的ないじめをしている場合は、後者も効果があります。

また、こういう人は、現在進行形で親や身近な人に支配されている場合も多く、そういう人間関係しか学んでいないので、距離が近くなればなるほど健全な人間関係というものがよくわかりません。

このタイプはいじめっ子がいじめられっ子になったり、いじめられっ子がいじめっ子になったりしやすく、繰り返しになりますが全員自己愛の問題を抱えています。そして大抵何か(仕事・アルコール・ギャンブル・自慰行為・タバコ・糖質etc)の依存症を持っています。

このタイプと対等な関係を結ぶのは難しいので、「お前には支配されない」という意思を伝えるため、相手にある程度の攻撃を仕掛けると効果があります。中途半端に怒るのはやめてください。さらに悪化する可能性があります。

ただ、陰湿なやり方や相手の人間性批判をするとヒステリーになったり、粘着してきたりするので、嫌がらせをされた場合、出来る限りその場で抵抗してください。その時には、怒りを必ず露わにしてください。

優しく話すと、相手に伝わらない可能性があります。相手の感情が分からず共感性に欠ける人間は、相手の細かい気持ちを感じ取ることが出来ません。怒鳴る必要はありませんが、「ハッキリと、断固として、相手の暴力に抵抗していること」を相手に伝えるのです。

決して、遠回しに曖昧な態度で、間接的に相手に伝えようとはしないでください。これは相手をコントロールするエゴの行為ですので、さらにエスカレートします。

支配する人間は支配されるのも簡単ですので、上限関係が逆転するかもしれません。そして、自分が支配者側になったときに、相手から距離をとり、自分がされたいじめを繰り返さなければいいのです。

私は、自分がされたいじめなどの行為を、さらに自分より弱い他の誰かに行うのは、最悪な負の連鎖です。しかし、自分が嫌がらせをされた場合、それに反撃するのは「相手を傷つける行為」ではなく「自分を守る行為」ですので、必要な行為です。躊躇は一切不要です。

それは正当防衛であり、それを我慢し相手の暴力を許容するのは、まさに「自分いじめ」です。

自分を仲のいい親友、または自分の子供のように思ってみてください。いじめられている親友や子供がもしも自分と同じような目に遭っていたら、どんなリアクションをしますか。「いじめられているのは、あんたに原因があるんだからしょうがないよ」と言うでしょうか。

それは虐待なのです。虐待を見て見ぬ振りすることも、虐待に加担していると言えます。

確かにいじめっ子は理不尽かつ最低な行為をしています。しかし、最終的にそれを受け入れ、自分をその環境に置き続けているのは自分自身です。そこに気づくことができれば、きっと未来は変わります。

最終的に、あなたをいじめの現場に置き続けて、あなたにいじめを体験させ続けている真の加害者は誰なのか、今一度自分に確認してみてください。

ちなみに、中には刺激すると危ない危険人物もいるので、その場合は別の手段を参考にしてください。

誰かに相談する

いじめられた場合の対処法④は、「誰かに相談する」です。

これは今現在の社会制度を見てもなかなか難しいかも知れませんが、とても大切なことです。要するに、問題を個人的なものにしておかないことです。

周囲に聞いてくれる人がいたり、相談出来る人がいたらお話ししてみましょう。親でも友達でも公的機関でも大丈夫です。実際には、ほとんど役に立たない人や制度も多いですが、重要なのは問題を顕在化すること、別の言い方をすれば「騒ぐこと」が大切なのです。

「自分さえ我慢していればいい」という考えを持ってしまうこともありますが、これは絶対にうまく機能しません。どこかでした我慢は、いずれ誰かへの理不尽な暴力などに代わってしまう場合があります。

誰かが同意してくれなくとも、自分がそういう目にあっていることを周囲に伝えましょう。そうすることでいじめの抑止力の場合になる可能性がありますし(より激しくなる可能性もありますが)、対処しなければいけない状況に持ち込めばこっちのものです。

機能不全家族(家族が本体の機能を果たせていない毒親主体の家族)やそれに近い構造の社会、人間は、今ある問題や暴力や傷と向き合いたくないがために、そういう状況があると知っていても問題がない振りをします。みんなで「ここは平和だ。何一つ問題なんて無い。」と思い込む訳です。

絶対にいじめを認めない学校、絶対に虐待を認めない家庭、絶対に問題があったと認めない会社、これは全部同じ心理システムから発生する現象です。

この人たちも、今まで家庭内でそうやって現実から目を逸らし、問題を見て見ぬふりされてきたんです。そして、見事「ミイラ取りがミイラになる」ように、同じ、もしくはよりひどい加害者になったわけですね。

そういう人からすると、「いじめられている!」と声を上げる人は、平和を崩すトラブルメイカーに見えますので、無視されたり時には怒られたりするかも知れません。これは、セカンドハラスメントと同じ行為であり、二次的な被害です。

しかし、これは無視してください。自分が嫌な思いをしたのならば、嫌なのです。それが何かの間違いでも、嫌なものは嫌だったのです。

(まだ我慢できる…)と無理していませんか?それはおそらく過剰な我慢です。あなたは今の状態であと5年後もいられますか?無理なものは絶対に無理なんです。それを認めていいんですよ。甘いとか、我慢が足らないとか、そんなことは全くありません。あなたは、あなたの心が感じるまま、ありのままに生きてもいいんです。

明らかに理不尽な行為で自分が嫌な思いをするくらいなら、間違えても、人に迷惑をかけてもいいんです。

自分だけは、(自分が間違っているのか?)などと自分を疑わずに、絶対に自分の味方でいてあげてください。

逃げる

いじめられた場合の対処法⑤は、「逃げる」です。

これが一番現実的かも知れません。もしも、学校でいじめられていて、学校に行きたくないなら行かなくて良いです。大人になって会社でも問題があるようなところなら、転職しましょう。

まず、いじめられるという理不尽な現実で、仕事をやめなければならない、学校にいけない等の被害を受けるのは腹が立つと思います。許せないという気持ちになるかも知れません。

しかし、一番大切なのは、「大事なあなたをあなた自身が守ること」です。

誰かがいじめるから、周りが守ってくれないから仕方がない。自分は何も出来ない。などとは絶対に思わないでください。あなたを置く場所はあなたが選んでいいのです。

親や学校が守ってくれない場合、外部機関に行くなり、受け入れ場所を見つけるなりしてみてください。

そして、過剰な我慢をしないでください。我慢癖のある人は、それこそ命に関わる出来事になるまでその問題を隠し、暴力に耐えます。しかし、それは普通の人には出来ない芸当です。あなたは恐らく相当に強い人ですが、そこまでする必要はありません。限界を迎える前に、余裕のあるうちにギブアップをして完璧ではない自分を許してあげてください。

これからも続いていく人生のために、余力を残しておくのです。

相手を変えようとしない

いじめられた場合の対処法⑥は、「相手を変えようとしない」です。

「親に支配されてきた人は、NOが言えない」と書きました。

  • どうせ言っても、聞いてくれない
  • 攻撃をやめてくれない

などの感情を抱きやすいです。

ここで注意して欲しいのが、共依存関係に陥っている人は、『相手の安全=自分の安全 だと思うこむ』ということです。要するに、自分が安全であるために、相手をコントロールする傾向があるのです。

だからこそ、人の機嫌を取ろうとするのですが、これは相手に変えようとする行為ですので、即やめてください。そして、自分と相手の間にしっかりと境界線を引きましょう

いじめっ子が弱く攻撃的な人間性であることは、相手の問題です。そういう問題のある人間として生きる権利が、相手にはあります。

ただ、その攻撃が度を超えて自分に向き、不快感を覚えた場合は怒ってください。それはコントロールではなく、率直なコミュニケーションです。

素直に感情を感じ、怒りを表に出し、不快な場所や人と距離を取り、その後は相手のことを忘れ、自分に集中する。これが問題のない状態です。

動物のケンカをイメージしてください。動物は、相手に配慮して相手をコントロールしようとはしませんよね?自分の身の安全が脅かされそうになれば相手を威嚇しますし、攻撃されればやめろ!と怒り、その後はすぐに忘れます。あれがエゴのない健全な生き物の姿です。

要するに、もう自分を偽ったり、嘘を言ったりするのはやめましょうと言うことです。

不思議なのですが、自分が変われば本当に相手も変わります。人は鏡、一つ実験のつもりでやってみてください。

自分の人生を生きる

いじめられた場合の対処法⑦、最後は「自分の人生を生きる」です。

これをいきなり完璧に行うのはハードルが高いですが、まずは偽りの自分で生きるのをやめ、ありのままの自分の感情を受け入れてみましょう。

本当は嫌だった
本当は悲しかった
寂しかった…

そんな気持ちを認めてあげてください。ノートに感情を書くのもおすすめです。

おそらく、幼い頃抑制された小さい本当の自分は怒っているはずです。「ありのままでいて、どうしていけないんだ!」と怒っています。

そして、ありのままの自分で生きる勇気を持つのです。もしあなたが自分を偽るのをやめ、人目を気にせず、人に気を使わず、伸び伸び自己表現をし始めたらどうなるのでしょう。

きっとあなたを嫌う人は出てきますが、好きになってくれる人も絶対に出てきます。

そして、自立した大人として自分と他人を尊重できるようになれば、きっと良い人間関係が創れるはずです。

周りの嫉妬や攻撃で傷付いてきた自分を、まずは労ってあげてください。彼らがあなたを拒絶したり反発したのは、あなたの中に何かしたら原因があるのかも知れませんが、それはあなたが悪いから攻撃をされたのではないのです。

誰かを受け入れられず、その上嫉妬や攻撃をするのはそれをした側の問題であって、された側の問題ではありません。これを、課題の切り離しと呼びます。

美人で周りにモテモテだったら、その分いじめてもいいのでしょうか?お金持ちで色々な場所でVIP扱いされているから、自分くらいは粗末に扱ってもいいのでしょうか?才能があれば、人権を侵害してもいいのでしょうか?私は、違うと思います。

まずは、自分で自分の気持ちを分かってあげること、そして嫌なことをやめ、やりたいことをやるのです。これが何よりの癒しと自己肯定になります。

自分の才能や能力を過小評価せずに、目立ってしまう自分の輝きを認め、さらに突き抜けていきましょう。

いじめが無くなった例

以前、はるな愛さんが過去にいじめられていたエピソードが、ニュースで紹介されていました。

はるな愛さんのエピソードまとめ

昔から、女性らしい格好をすることの多かったあいさんは、小学生頃からいじめられるようになった。いじめ加害者はやんちゃなタイプではなく、優等生。

死にたいと思う気持ちを持ちながらも、自分を曲げずに生きているうちに、自然に居場所を見つける。そこで自分らしくいることで自信を取り戻すと、いじめがなくなった。

Yahoo!ニュース
Yahoo!ニュースは、新聞・通信社が配信するニュースのほか、映像、雑誌や個人の書き手が執筆する記事など多種多様なニュースを掲載しています。

いじめや人間関係の問題は、それぞれシチュエーションなどが違いますので、全てがこのようにうまくいく訳ではないかもしれません。

しかし、やはりいじめに「自信のなさ」や「自分が自分らしく生きること」がキーワードとして関わっているのではないかと思います。

まとめ

さて、ここまでいじめの仕組みや、どうしていじめが起こってしまうのかを解説してきました。

いじめは劣等感を持つ攻撃的な人が、劣等感を持つ内向的な人間を攻撃すること

もちろんこれは一つの見方ではあり、全てのパターンがこれに当てはまる訳ではないですが、仕組み自体はなんとなくご理解いただけたでしょうか。

この精神的・肉体的な暴力の連鎖は、かなり昔から続いています。ですので、できるだけこの負の連鎖を自分でストップしよう!と決意する人が増えれば、社会はきっともっと良くなっていくのではないかと思っています。

そして、加害者にも被害者にもならないために、そもそもいじめを起こさないようにするには、自己肯定感を上げて、自分に自信を持つことが大切です。近年、「自己肯定感」と言う単語はいささか耳タコですが、やはりこれが大切なのです。

具体的な行動であれば、普段から舐められないようにするのも重要です。「いざとなったら全力で反撃しますよ〜」というアピールは大切なコミュニケーションなのです。

この感情的な「怒り」を表に出すと言う作業は、いじめられやすい人や自己肯定感が低い人にはなかなか難しいものです。(仕事などでは「自分が正しい」「相手が間違い」と怒っているとしても、それは自己肯定ができている証拠ではありません。自分への自信のなさから、正しさに依存している形ですので、根っこでは自己不信が強いのです。)

個性が強い人は、自分のエネルギーの強さを潜在的には理解しています。だからこそ、一旦自分が怒り始めると、手がつけられなくなるほど強烈で長期的な底なしの怒りが出てくるのが怖くて、解放できないのです。ここについて話し出すとさらに長くなるので、また別の機会にご説明します。

こんな風に色々と課題が出てきますが、出来る限りありのままの自分を認め、自分が幸せな気持ちでいられる時間を増やすことは、自分を愛することに繋がります

大切なのは、最初から完璧になろうとするのではなく、時間がかかっても自分を大切にすることを積み重ねていくことです。意識が変われば、現実も変わってきます。

一生いじめやパワハラが続くわけではありませんので、嫌なことがあったら全身全霊で逃げて、大切な自分自身を守ってあげましょう。最終的にそれができるのは、自分しかいないのですから。

かなり長文でしたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。

本当に悩んでいる人の気付きになれたらいいなと思います。一人でも多く、ありのままの自分で自由に生きられる人が増えますように。

いじめは依存と大きな関係があります。こちらの記事も是非合わせてご覧ください。

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