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依存されるのが気持ち悪い!依存されやすい人の特徴、心理やスピリチュアル的な意味は?対策も

スピリチュアル
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依存されやすい人っていますよね。でも世の中には、同じことをしても依存されない人もいます。そういった人たちには、どういう違いがあるのでしょうか。

依存されやすい人の特徴、原因、対処法などをみて行きましょう。

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依存されてしまう心理

依存されてしまう人は、結論からいうと「あなたにも依存したいという気持ちがあるから」です。

結論だけ見ると、そんなわけない!と思う方もいらっしゃるかと思います。

実際、依存される側の人は、表面的に見るとしっかり者であることが多いです。しっかり者は自立していて、相手を助けてあげる力があり与えることができる人です。

これは男性性が発達しているということですので、仕事も当然できます。自立しているということは頼りになるということなので、依存的な人が寄ってきやすいのです。


あなたが「依存されやすい人」で自立している人だったとします。あなたに依存してくる人は、大抵の場合あなたより能力が低く、あなたに与えられるものはあまりありません。

そもそも、依存してくる人は「して欲しい人」ですので、あなたに「与えたい」とは思ってはいません。

この人は、自分の面倒を見てくれる能力があるし、優しいから自分を見捨てられないだろう

こういった感情を無意識で持ち、あなたに近づいているわけです。

しかし、これは自立と依存の力関係が崩れると変化します。

ある時、ちゃんとしっかりしよう!と日々頑張っている自立した人の前に、その人よりズバ抜けて優秀で、しっかりしていて、頼りになる完璧な人が現れました。

自立した人は、今までずっと「与えてほしい」と要求してくる人たちに搾取されて生きてきました。もう疲れた!もう嫌だ!そう思った自立した人はどうするでしょう。

依存されがちな人に起こるパターンは、おおよそ3つです。

①自分が依存的になることを許せず、相手を不快に感じ、勝負してしまう。
 例:相手と自分を比べて、敵意を感じたり、異常に美化して憧れたり、惨めになったりする。

②やっと自分を助けてくれる人が来たのだ、と思い相手に思い切り甘えすぎてしまう。(依存側になる)

③甘えたら嫌われてしまうので、自分を出せない。

どの選択肢を選んでも、本人は大抵苦しいと感じます。こういった人のそもそもの問題点とは一体なんでしょうか。

この3つに共通していることは、「相手と対等な関係を結べない」、「自立側にも強い甘えの気持ちがある」、そして「自分に自信がなく、自分の弱いところを好きになれない」の3つです。

自立と依存の特徴

まずは依存されやすい人、依存しやすい人の特徴を比較して行きましょう。

依存されやすい人の特徴(自立)
  • 能力値が高く、自分でなんでもできる
  • 大人でしっかり者
  • 人に平等に接する
  • 人が良いのに、自分は良い人ではないと思っている
  • 優しい
  • 真面目
  • 思いやりがある
  • 客観的で、正しい行いができる
  • 人の気持ちが分かり、相手を優先する
  • 努力家
  • 自責タイプ
  • 一人でも平気だけど、少しだけ寂しがりや

依存しやすい人の特徴(依存)
  • 能力値が低く、自分ではなにもできない(と思っている)
  • または能力もないのに、自己評価が高い
  • 心の奥底では自信はないが、プライドが高い
  • 幼稚で甘え症
  • 人を差別する
  • わがままなのに、自分が素直でピュアだと思っている
  • 自分の利益ばかり考える
  • 適当にうまいことやりたい
  • 人の気持ちを考えられない(考えたくない)
  • 自分を客観視できない
  • 鈍感で、自分を優先する
  • 怠け者
  • 他責タイプ
  • 一人でいることができない、寂しくてしょうがない

この2つは、プラス極とマイナス極のように対になっているのが分かりますか?

真反対なのですが、凹凸がぴったり合わさるように、結びついてしまいます。この性質を持っている人たちが結びついて離れられなくなってしまうことを、共依存と呼びます。

自立側は、たいていの場合「とにかく良い人でしっかりもの」です。親に愛されるため、「いいこ」でいようとした人たちです。

優しく善良で、悪いところがあまり見つかりません。強いて言えば、相手のことを考えすぎて優柔不断になるところくらいです。こういった人は、ストーカーの被害やパワハラ・モラハラに合いやすかったり、共依存になった場合には、酒浸りのDV夫を支える妻の役割をします。

反面依存しやすい人は、とにかく自己中心的です。

表面的に柔らかい態度であっても、中身はわがままでまるで幼児のように自分の欲求をまわりに突きつけます。相手のことを考えずに、自分の要求を飲んでもらって当然だと思っています。いわゆるモラハラ体質で、殴っては優しくなるDV夫や、夢を語って周りに依存して生きるヒモ体質の男性がこれです。

※上記は、あくまで男女でよくある分かりやすいパターンの例です。同性同士の親子や友人でも、存在します。

上記の「自立している人」は、他の人に嫌われているでしょうか。おそらく優しくしっかり者で、人に好かれているでしょう。

「依存しやすい人」はどうでしょうか。おおよそ人から距離を取られているでしょう。

ですから、依存しやすい人は、依存させてくれる相手をゾンビのように求めて彷徨っています。普通はここで、「自分の足で立とう!」と決意し自分で自分を見つめ直すか、誰かに助けて欲しければお金を払ってプロのカウンセラー等に相談します。

しかし、彼らは「誰も自分のことを分かってくれない」「自分はいつもひとりぼっちだ」「どこかに全て分かり合えるソウルメイトがいるはずだ」などと言って、自分の人生をどうにかしてくれる救世主を探します。自分の欠点に向きあうことはありません。

実際には、みんながその人を分かっていないのではなく、分かっているから近寄らないのです。しかし、本人があまりに視野が狭く自分に原因があると思えない、もしくはその問題を見たくないため、全て人のせいにします。自分に対して、『周りが自分の望む対応をしてくれていない』『周りが悪い』と思うのが特徴です。

だからこそ、そんな自分にも平等に接してくれるあなたのような人を特別に感じ、自分と合う人にやっと会えたんだ!と盛大な勘違いをするのです。

依存されるスピリチュアルな意味

自立側の人は、優しく有能ですので、他の人に何か与えてあげたい、優しくしてあげたいという気持ちがあります。慈悲深く思いやりがあるので、他人の欲求に気付きがちです。

ですので、依存体質の人が悲しそうな顔をしていると、なんとか頑張って笑顔にさせてあげたくなります。落ち込まなくていいよ〜と励ましてしまうのですね。

そうすると、依存側の人は自立側の人が「心配している」「自分のことを気にしてくれている」ので、元気になります。これは見えない場所で、あなたが他人にエネルギーを渡していることを意味します。

エネルギーヴァンパイア』という言葉を聞いたことがありますか?他人にパラサイトして、他人からエネルギーを吸い取っている人のことです。

高圧的だったり、弱いふりをして相手の罪悪感を刺激したりやり方は様々ですが、普通は自分でやらなければならない精神的な面倒を他人にさせようと仕向けるのです。

自立側は非常に疲れますが、相手が元気になったのでほっとします。もうこれで安心だろうと思うと、また同じことの繰り返し…このあたりから、自立側の人は何かおかしいなと感じ始めます。

もちろんこういったやり取りは友人同士でもありますし、あなたも誰かからエネルギーをもらっていることはあるでしょう。しかし、相手だけ元気になっていたり、自分が疲れすぎていたり、それが何度も繰り返されるような場合は依存です。

こういったことが起こる理由は、あなたが背負う必要のない他人の人生(意思や気持ち、幸福)まで背負っていますよという警告であり、「他人との間に境界線を引いてください」というメッセージです。

自立も依存も、全員が多少は持ちうる感情です。しかし、ここで説明している人たちは、とにかく普通の範囲を超えてしまっています

『他人のことまで面倒を見て、責任を持ってしまう自立側』と、『自分がやらなければいけないことを他人にどうにかしてもらおうとする依存側』は、どちらも不健全です。

依存側の人が求めていること

依存的な人は、あなたのことを表面的には褒めるかもしれません。「しっかりしててすごい」「話を聞いてくれて嬉しい」実際にそう思っているのだと思います。しかし、そんな感謝の言葉はそのうちに無くなり、当然のような態度になって行きます。

なぜなら、依存側の人は社会や他の人たちを「自分を正しく評価せずに搾取している」と思い込んでいるので、別の場所では自分は優しくされて当然だと思っているからです。要するに、損をしているという意識、被害者意識があるわけですね。

この彼らのいう「搾取」とはこんなことです。

依存側のストレス

ストレスの多い仕事を一生懸命やっている
仕事で過度な要求にも応えている
低い給料でも頑張って働いている
毎日職場で上司に怒られているが我慢している
自分を大切にしてくれない親や友人などが居て、我慢している
親に気を遣っている
聞きたくない話を、付き合いで長時間聞かされる
やりたくないことをやっている

こんな感じで、彼らも実はどこかで過剰な我慢があったり、エネルギーを誰かに奪われていたりします。普通、自立した人は自分からエネルギーを奪う場所や人からは離れたり拒否しますが、依存的な人は自己肯定感が低く、これらにすら依存しているので自分に合わない環境にしがみつきます。

むしろ、積極的にそこに居ることを選んでいる場合すらあります。

そして、さらに依存的な人はこれらのストレスから回復する術を、自分自身で持っていません。趣味で楽しんで回復する、自然の中でリフレッシュする、などエネルギーの自家発電や浄化ができません。

だからこそ、「関係ない他人にストレスを撒き散らす」「他人にどうにかしてもらうことで元気を回復する」と言う他者を利用した手段でのみ、エネルギーを回復します

そして、この自分が優しくされて当然な場所としてターゲットにされるのが自立型、中でも自己肯定感が低い心優しい人たちです。彼らは自立側の中の、隠された罪悪感や自信のなさを見抜き、そこに思いっきりマウンティングしてきます。

彼らの問題は、自分を傷つけたり搾取した人に向けてではなく、自分に優しくしてくれる赤の他人にその依存性が向けられる、彼らのうちに秘めた攻撃性なのです。

ちなみに、依存側の人は客観性に欠けるため、彼らの自己評価は歪んでいることが多いです。自分を現実以上にすごい存在だと思っており、自己愛の問題を抱えている場合もかなり多いです。

ですから、「搾取されている」というのは勘違いである可能性もありますし、本人の罪悪感から積極的にそういう状況を招いている場合もあります。(相手が仕事中毒の場合は、要注意です。)

話を戻しますが、依存体質の人が求めていること、それは「自分のとって都合のいい人間」です。

自分が辛い時に支えてくれ、苦しい時話を聞いてくれ、寂しい気持ちを解消してくれ、やつあたりをしても本音を理解し怒らずに受け止めてくれ、自分のありのまま(わがまま)を何もかも全部文句一つ言わず笑顔で受け入れてくれ、そんな自分を愛し、ついでに一生自分の望むときに望むだけそばにいてくれる人です。

要するに、赤ちゃん時代の母親役なんです。クレクレばかりで最初から一人で立つ気は全くありませんので、そうでなければ価値はありません。

依存側の人は、自立側の人と表面的には「自分達は対等である」という態度をとりたがる人もいますが、それは「自分が依存している」なんてカッコ悪いのでそういう体を保っていたいだけ。

実際には依存心はあれど、相手を尊重したいと言う愛情も当然ありません。ただ、自分が安心安全で都合よく良い思いをしたいだけなのです。

人間であれば多少は依存心もありますが、こういう人たちの怖いところは愛情欲求が底なしなところです。普通、人は誰かに助けて貰ったら「ありがとう!」と感謝をして次は自分の足で立とうとしますよね。

そして、機会があればお返しをします。しかし、こういう人たちは自立する気がハナからありませんから、「ありがとう」と言いながらさらにもたれ掛かってきます。このありがとうは、「こんな自分を受け入れてくれた!じゃあもっと甘えてもいいんだ!ラッキー!!」です。

端的に言えば彼らは自分の保護者探してをしているので、彼らの「ありがとう」は対等に助け合える他人への感謝の気持ちではないのです。

普通は、そんな幼稚で迷惑な人と誰も関わりたいなんて思いません。大人の対等な関係ではないため重いですし、ギブアンドテイク(対等)ができないからです。所謂、テイカー(taker)と呼ばれる人ですね。誰かに何かを貰うことばかり考えているパラサイト気質の人です。

しかし、自立的な人は優しくいつも誰かに何かしてあげたいと思っているため、そこに気づきません。また、いつかその人も自立できるだろうと思って(期待して)います

一方で、依存的な人はパワーの源(と言う名の搾取元)を手に入れ絶好調です。話を聞いてほしい、癒してほしい、優しくしてほしい、褒めてほしい…とにかく愛情を欲しがるお化けになってしまっています。愛情に飢えているので、ターゲットを見つけると猪のように突進してきます。

頭では相手を「理想の人」と思い込んでいますが、彼らの「理想の人=理想のエネルギー源・または理想の母親像」であって、搾取する対象・無償で自分の面倒を見てくれる相手なので、そこに対等な人間関係や健全な愛情は当然ありません。

彼らは、相手がどう言う人間か本質的には興味がないのです。そして、与えてくれる愛情が不足したり、気に入らなければ激怒します。泣いて罪悪感を刺激するタイプもいます。境界性人格障害の場合も多くあります。

どちらにしろ、彼らは感情的で相手に頼っているように見えて実は支配的、理性がなく、体だけ大きくなった赤ちゃんのような人格です。

自立側の人が求めていること

自立側の人は、実際に優しく慈悲深い、これは本当です。また、なまじ有能ですから、目の前に明らかに自分が助けられる人がいて、助けてアピールをしているのを見ると、見捨てるように感じてしまい見過ごせないのです。

そんな自立側の人が求めているもの、それは「自分がこの世にいてもいいという感覚」です。自立的な人は非常に罪悪感が強く、自分の持っている能力やエネルギーを他人のために惜しみなく使います。そこには、「そうしないとここにいてはいけない」と思う居場所のなさ、寂しさが隠れています。

感謝されることをしないと、人に好かれない、人に好かれなければ、ここにいる権利すらないと思っているのです。これはありのままの自分ではダメだ、という自己否定からくるものです。

自立側の人は、感謝されるのが好きです。というより、感謝されるとほっとします。感謝されることで安心したい、自分は許されるんだ、という感情が奥深くでは多くあると思います。

感謝されたい、誰かに何かをしないとここに居てはいけないと思ってしまう、そんな心の弱さを見抜き、依存的な人は寄ってくるのです。

自立しすぎてしまった原因とは

自立側の人がこんなふうになってしまったのには、理由があります。

子供が自立しすぎる原因は、親が成熟しておらず『子供時代に子供をきちんとやれなかったから』です。

子供が自立しすぎる親の特徴
  • 子供に適切な興味を持たない
  • 愛情を与えない
  • 褒めない
  • 自分と比較して嫉妬する
  • 突き放す
  • 感情を抑えさせる
  • 無視をする
  • 厳しすぎるしつけをする
  • 他の兄弟姉妹をひいきする
  • 過干渉
  • 心配性で、いつも不安な顔をしている
  • まともに子供の面倒を見る能力がない
  • 友達のように接する
  • 愚痴を言うなど甘える

子供は、経済的・精神的に自立した親に育てられることによって、安心して子供でいることができます。家庭の平和やお金などの心配をすることなく、毎日感情の赴くまま遊び好きなことをやり、親に甘えて生き方を教えてもらうものですが、そんな家庭ばかりではありません。

自立しすぎる子供を持った親は、親自体がそもそも精神的には子供のまま、肉体だけ年を取った状態であった可能性がとても高いです。これをアダルトチルドレンという呼び方をしますが、少々奥深いのでざっと説明すると、過去とても傷ついたことがあり、心の成長が止まっている人です。

例えば、4歳までに虐待やネグレクトを受け非常に傷ついた人は、4歳のまま精神が止まっています。4歳児のまま社会に出て働いたり、子供を産んだりしているので、辛いに決まっています。いつも不安で精神的な自立が出来ていないので、当然夫婦仲も良くないでしょう。

そんな親の元に生まれた子供は、子供ながら一生懸命親を支えようとします。「私がこうしたらお母さん助かるかな」「私がこうしたらお父さんは怒らなくなるかな」

そうやって気を使いすぎて、親の前で自分の感情を我慢し続け、親に愛情を与え続ける子供になります。子供のように、自分がしたいことを叫んだりしません。わがままも言いません。お父さんとお母さんに、幸せでいてほしいからです。そのために完璧ないい子になります。

こういう思いやり深い子供に、幼稚な親は依存するわけです。「この子は私をガッカリさせない」「私を分かってくれてるのはこの子だけ」「この子は手がかからない」など。

本当は我慢しているだけで、そんなことは普通に考えれば分かります。しかし、幼稚な親は結局自分のことしか考えておりませんので、子供の様子に気づく余裕はありません。むしろ気づいてしまったら自分の思い通りに動かなくなるので、気づいていても必死で無視をします

自分の利益のために子供を搾取する、これが毒親なのです。

子供は親に育てられる存在ですから、見離されたら生きていくことが出来ません。そして、自分のためだけではなく、あなたは大好きなお父さんとお母さんを幸せにしたくて、子供の自分を殺しました。

親が子供に無償の愛を与えるのではありません。本当は、子供が親に無償の愛を与えているのです。彼らは精神的に幼稚で、いつも自分の不安や辛さで頭も心も一杯です。だから、自分が子供に支えられていることに気づけません。

自立側の人は、自分を保護してくれる人たちや大好きな人たちの幸福のために、相手の顔色を伺い、相手の欲求に沿って生きる術を学びました

それは、幼少期に自分がこの世界を生きていくために必要なサバイバル・テクニックであり、それを駆使することで、過去あなたは無事に生き残ることに成功しました。三つ子の魂百まで。だからこそ、その生き方は今もあなたに深く根付いています。

どうして与えすぎてしまうのか

ここまで読んで、自立と依存の仕組みがなんとなく理解できたでしょうか。

自立的に振る舞ってしまう人の親は、少なくとも家庭内で、自分に無償の愛を与えてくれる子供に対しては依存的な人でした。最初の社会であり、人間関係である家庭で、あなたは幼いながら「自立し周りを支える役」を担った。

だからこそ、あなたは今でも居心地が悪いのに、一緒にいても不愉快なのに、慣れ親しんでいる役割にハマってしまうのです。「これは出来る」「嫌だけど得意」「昔こうやって生きてきた」「私はこういう生き方しか知らない」と、何故かその役をやってしまいます。

しかし、それは過去の話であり、あなたはもうある程度成長しているはずです。にもかかわらず、あなたがどうして親を彷彿とさせるような依存的な人を突き放せないのか、もしくはある程度依存させてしまうのか、というと、あなたの中の幼いあなたが「あの頃、お父さんとお母さんを幸せに出来なくてごめんなさい」という罪悪感を持っているからです。

子供は無条件で親を愛していますから、親が悲しい顔をすれば自分のせいだと思いますし、喧嘩をしていれば自分が原因だと思います。自分という存在が、親の安心や幸せになっていない、むしろ邪魔になっているのではないか、と思うのです

そして、子供なりに努力をしますが、親は親の都合で勝手に幼稚で居続けているため、変わることはありません。自分の弱さ(幼少期の傷)には絶対に向き合いたくありませんので、本人はいつまでも子供のまま。そして、親の役割の一部(主に精神的な面で)を、子供が引き受けることになるのです。

そのことが、自立側の人の心に大きな罪悪感となって残っています。しかし、ここまでに書いたように、親は少なくとも自分で選んで親になっており、自分で問題(という思い込み)を抱え、自分で子供に依存する人生を生きています。どんなに辛く見えたからと言って、真実は分かりません。

というか、本当に心底辛ければ、人間は絶対に変わりますよね?ということは…そこそこは辛いかもしれませんが、そんな人生にある程度のうまみもあるわけです。

例えば、子供に依存して子供からエネルギーを奪い、自分の問題に向き合わなくて済むようにし、子供を自分の親役ができるほどそこそこしっかりものにして、かつ罪悪感を植え付け完全に自立させず支配し、自分のそばに置いて老後まで自分を愛して面倒を見てもらうなどのメリットが…

ちょっとホラーっぽくなりましたが、こういう家庭はごまんとあります。中には怒る方もいるかもしれませんが、こういう親は非常に強かで狡賢く、実は全然可哀想な人ではないんです。過去に多少辛いことはあったんでしょうが、それを理由に被害者顔で強かに生きています。

仮に、彼らの人生が真に辛いのだとしてもそれが親の選んだ人生です。そして、それを許すのが「相手を信頼し、尊重する」という愛です。

あなたと親は家族ですが、別の人間です。幸福も不幸も、その人には選ぶ権利がありますし、それを他人がどうにかしようとするのは人権侵害とも言えます。

大人になった今なら分かると思いますが、子供の頃は親と繋がっていますから、あなたが過去親の心を思いすぎてしまったことは仕方がなかったかもしれません。

しかし、大人になった今でもそれを感じているのだとしたら、それはただの癒着です。(癒着=心理的にその相手とつながって一体化している状態)

また、親と子供という関係でも、それはただの役割であって、関係としては対等なのです。ここで役割が偏ったり逆になると、癒着が生まれたり、支配被支配という上下関係となります。

またあなたの中に、自分も相手にしているように接して欲しい、そんな風に面倒を見て欲しいと思っていることに気づくことが出来ますか?あなたは幼少期、誰かに十分面倒を見てもらえず、寂しかった子供時代を抱えて今も生きているのです。

人は、自分がしてほしいことを無意識に人にします。誰かを助けたい人は、実は助けられたい人です。誰かに優しくしたい人は、実は優しくされたい人です。

あなたの心の奥底の欲求に、気づくことができますか?

これが今の「自立・依存」の不平等な関係性の根っこにあるものです。

依存的な人が気持ち悪い理由

次に、依存的な人を気持ち悪い!と思う理由について、2つお話ししていきます。

境界線を超えてくるから

健全な人間関係には、お互いのパーソナルな領域(感情の意思決定)に境界線があります。

あなたと私は違う人間です、という線があるのです。助け合いの場面でも、「助けてほしい」「いいよ」という双方の合意があった上で助けますよね。これは協力で、対等です。

しかし、依存側は「助けてほしい」「助けてくれないと自分は立てない」「あなたがいないと生きていけない」などと言ったり、そういう態度を取ってきます。これは、弱さを盾にした暗黙の脅迫です。お願いや依頼ではなく、強要であり強奪です。心理的なレイプとも言えます。

あなたの意思や感情を無視してでも、あなたから奪い取らないと生きていけないので、平気でそういうことをします。「だって自分はこんなに辛くて可哀想」ですし、あなたの中に罪悪感があることを見抜いているからです。

もう一人の自分を見ているようで辛いから

ここで考えてほしいのですが、あなたは今まで依存的だと思っていた人に対し、「助けたいけどいい?」と質問し、「いいよ」という相手の了承を得てから、相手を助けましたか。おそらく自立した人たちは「全然優しくしてないのに、依存された」と思っている人も多いと思います。しかし、あなたの普通(幼少期の当然)は、普通ではないのです。

人は助けてもらう、親切にしてもらうことが嬉しいですから、ほとんどの人は好意的に受け取ります。しかし、一部の全部自分でやりたいという考えを持っている人は「どうして頼んでもないのに世話を焼くんだ!」「お節介だ!」と怒ることもあります。

少し耳に痛いかもしれませんが、ここでいう自立側に当たる人の親切は、真に自立している人からすると、おせっかいか、少し「ウザい」と感じられる過剰なものです。与えすぎなのです。

困っている人がいたら助けるのは当然!ですが、あなたは過去の経験から、相手のパーソナルスペースに先回りして無断で入っていってしまう癖があるのです。

例えば、「相手が落ち込んでいたから、元気づける」などがそうです。繰り返しになりますが、多少はもちろんあります。しかし、求められていないアドバイスを、過度に相手の気持ちを察っして与えてはいませんでしたか?

相手の感情や意見を、例えそれが良い方向であっても無理矢理コントロールしようとするのは、境界線の越境なのです。

また最初に、依存的な人は「自分に対して、『周りが自分の望む対応をしてくれていない。だから周りが悪い』と思うのが特徴」と書きましたが、これもあなたと同じ感情だということがわかりますか?

『依存的な態度の人が悪い』『私は普通なのに、周りが依存的な態度を改めてくれないから私が嫌な気持ちになるのだ』気に入らなければさっさと離れれば良いのに、周りが自分に都合のいいように動くことを望んでいる…あなたの中にも、自分で自分の感情の責任を取れていない部分があるんです。

あなたはあなたで、相手から無意識に感謝を要求していたことにも気づいたでしょうか。

そして、依存的な人が依存的になった原因も、あなたとよく似ています。親がアダルトチルドレンで、異常に過干渉、もしくは最低限の保護や面倒も見ないなど、極端な態度で子供に接したことが原因です。子供時代、子供として過ごせていなかったのです。

自立側と依存側は、スタート地点は同じでした。しかし、進んだ道は正反対なので、表面的には正反対のように見えて、根底には似た性質を隠し持っています。

本当は甘えたかった…
ちゃんと面倒をみて欲しかった
私の話を聞いて欲しかった…
褒めて欲しかった
優しくして欲しかった
私のことを分かって欲しかった

そんな欲求が、自立側の人の心にもあるのがわかりますか?子供が持つ当たり前の感情ですよね。こう思っていたとしても、何にも恥ずかしいことはないのです。

しかし、残念ながら自立側の人はそんな欲求は叶えられることはありませんでした。ですから、あなたは過去のどこかで子供のあなたを否定しました。「子供でいたって傷つくだけだ、だから大人になろう」そう決意したはずです。

反面、依存的な人はいつまでもこの欲求を心に持ち続けていました。要するに、大人になることを潜在的に諦めたのです。今も親代わりになる人を探し、いつまでも夢見ているのです。

同時にあなたが依存的だと思っている人は、あなた以外の人には自立的な人だと思われているのかもしれません。自立的に生きてきたはずなのに、理想の親役(自立側)を見つけて、過去の依存心が爆発してしまった可能性もあります。

どちらにしても、親に否定され続けてきたことは事実でしょう。どちらにも「ありのままの自分は受け入れてもらえない」という強烈な自己否定があります。その後、頑張って誰かに与え続けることでその気持ちを否定しようとした人が自立で、それを他人にどうにかしてもらおうと思い頑張るのをやめたのが依存です。

現実的には全く似ていないのに、潜在的、深いところや感情的には非常によく似ているのが自立・依存の人です。

あなたは子供時代のどこかで、心の中の依存的な自分を否定し、自立的な人になる決意をしました。もちろん、今目の前にあらわれている人ほどの、他人に病的にしがみつくような過度な依存心ではなかったと思います。健全な、当然子供が持っている依存心です。

しかし、あなたは「そういう欲求を持ったまま大人になれば嫌われる」(傷つく)と思ったのではないでしょうか。どちらにしろ、依存的な人にはなりたくなかったので、子供を諦め、ありのままの自分を否定しました

子供の自分を許してあげましょう

依存的な人があなたの前に現れたのは、どうしてでしょうか?

今、過去否定された幼いあなたが、他人の姿であなたの前に現れ、あなたに助けを求めています。

「ダメな自分を嫌わないで」「子供の自分を否定しないで」「自分だって誰かに助けてもらいたい」。成仏できていない幽霊のように、あなたにつきまといます。

関係を切っても、また同じような人がやってきます。これは、神様があなたへ嫌がらせをしているのではありません。自分の傷を見つめ、自分を愛する機会をくれているのです。

あなたが今のあなたになったのには、どうしようもない理由がありました。とても大変な幼少期を過ごされてきたのだと思います。

そしてあなたは、親の態度に傷つき、子供の自分を否定することで表面的には自立をしましたが、あなたも立派にアダルトチルドレンになりました。そして、なぜかうまくいかない現実に四苦八苦しています。

あなたを苦しめた親も、あなたに依存してくるあの人も、本来はあなたと同じだったことがわかりますか?あなたのおじいちゃんもおばあちゃんも、ひいおじいちゃんもひいおばあちゃんも…昔は体罰なんか当たり前でしたから、より大変だったことでしょう。

そうやって人は傷付けあって、命をつなげてきました。もしお子さんがいらっしゃるのだとしたら、きっとお子さんも何かしら息苦しさを感じているはずです。しかし、あなたはこの記事を読んでいますね?今こそ、その鎖を断ち切る時がきました。家系の中で脈々と受け継いできた悪習を、あなたが気づいたんです。

小さい時にお父さんお母さんを幸せにできなかった自分、誰かに守ってほしかった自分、依存してくる人を助けられなかった自分、誰かの役に立てなかった自分、無意識に誰かの境界線を乗り越えてしまっていた自分。そんな完璧ではない自分を、まずは受け入れてあげましょう。

しょうがなかったのです。そして、あなたは十分に、十二分に良くやっていました。きっと真面目なあなたですから、誰より一生懸命だったことと思います。

こんなふうに、自分に声がけをしてあげてください。親にしてほしかったことを自分で自分にするのです。そうして、子供の自分を育て直してあげるんです。

自立と依存は、根っこの部分がよく似ています。だからこそ波長が合い引き合ってしまうのですが、子供の自分を抑え周りと自分のために頑張ったあなたは既に「すごい人」ではないですか?

どちらがいいということではないのですが、私は「自立を」選んだあなたは立派で、器が大きく、優秀で、リーダーの素質がある優しい人だと思います。

あなたの傷は、実はあなたの才能です。

誰かを支える才能、誰かの感情を理解してあげる才能、誰かの弱さを許してあげる才能、誰かを励ませる才能、誰かを物理的に助けてあげることが出来る才能など、多彩な才能があるからこそ傷ついてしまった過去の幼い自分をどうか今認めて受け入れてあげてください。

依存的な人への対策

自立と依存の関係が理解できたところで、あなたのような才能を持った自立的な人が健全に生きていくにはどうすればいいのでしょうか。

最初に、自立と依存は「正反対であり極だ」というようなことを書きましたが、結局のところ偏っているのが問題です。

自立の人が、依存的な自分を受け入れると、一体どうなるでしょう。それは、「依存的な人の特徴」で挙げた項目をあなたの中に取り入れることです。

いやだ!!!と反射的に思ってしまう人も多いと思いますが、何もあの人たちになれ、と言っているのではありません。あの要素を少しだけ、取り入れてもいいんじゃないかという話です。

自立的な人は…

もっとわがままになる
自分の感情に素直になる
困ったら人に頼ってみる
積極的に相談する
相手より自分を優先する
たまにはサボる
いちいち真面目に向き合わない
できることでも敢えてやらない
人に聞く
流す
自分がやってきたことを認める
自分を褒める
頼まれていないことには、手を出さない
頼まれても嫌であれば断る
自分はここに居るだけで価値があるんだという感覚を持つ
付き合う人は、あなたの基準で厳しく選ぶ
嫌な人からは即離れる
嫌な仕事は真剣にやらない
完璧主義をやめて適当になる
手伝わず見守る
自分に一番気を遣ってあげる
自分にご褒美を与え喜ばせる

今よりほんのちょっと、姫・王子気質をプラスしてあげてください。

「私に尽くしたい人、たくさん居るよね?」そんな目線です。あなたは今まで色々と人を助けてきました。依存的な人のように、あなたに何も返さない無責任で自己中心的な人ばかりではありません。

最初は文句を言う人もいるかもしれませんが、あなたの「受け取る姿勢」をみんなに見せ、与えさせてあげてください。あなたはいつも貰う前に、かなり俊敏な動きですぐさま助けていたはずです(笑)みんなあなたのスピードについていけなかったので、助けるタイミングを失っていたんです。

しかし、実際助けてもらっても(助けるの遅い…)(頑張ってこれ?)と思うかもしれません。なぜなら、あなたは幼少期から親や環境によって、「気遣い」「サポート」という面での特殊な訓練を積まされてきた特殊部隊の猛者であり、スペシャリストだからです。

未熟な親の元に育ち、優しい心を持つが故に自立の道を歩んだ方々には、おそらくこんな能力が無意識のうちに育成されているはずです。

自立側が持つ特殊能力

・周囲の感情や内面を察知する直感力
・相手の表情や状況を読みとる洞察力
・相手の希望を具体的に叶える実務能力
・自分の感情を隠し相手に尽くそうとする演技力
・相手の心に寄り添う共感力


などなど…

枚挙にいとまがないほど、あなたはかなり有能です。自分では気づいていないかもしれませんが、これは誰にでも出来ることではないすごい才能なんですよ。

元々女性性(受容力)が豊かな上に幼少期から男性性(与える力)を自分で鍛えあげてしまったため、完全無欠で最強な感じになってしまっています。(イメージは、バリバリのキャリアウーマンです)

そんな特殊部隊出身のあなたですから、一般的な人たちを前にすると「一体なぜこんなこともできないのか?」と心底疑問に思うことがあるかもしれませんが、それが普通なのです。

もしくはあなたというスペシャリストを前にして、「これじゃあ自分の出る幕はないな…」とやる気を失ってしまった人たちです。だからこそ、周りが気付いて成長するまで少し待っていてあげることはできないでしょうか。

それが、相手を「信頼する」と言うことです。お母さんが子供を見守るように、出来ないことが出来るようになるまで、手を出さず、信頼し、見守ってあげましょう。(たまに旦那さんの無能っぷりに怒っている奥様がいますが、どうか育ててあげるつもりで待ってあげてください)

ここで、相手を許せない場合は、(自分は自立したくてしたわけじゃないのに!誰も助けてくれない!)と言う心理になっている可能性があります。これは依存心ですので、自分の内側に向き合う必要があります。

また、誰にでも親切にするのはやめましょう。これは、一見とても公平で大人な態度に見えますが、自分で判断するのを放棄している、実は非常に依存的な態度です。

特に依存されやすい場合、魅力的であることも多いのでいい人悪い人色々なものが寄ってきます。あなたはあなたが付き合う人を、自分で選ぶんです。誰かに任せないでください。最初は失敗してもいいです。失敗したら、即距離を置きましょう。そうやって段々人を見る目を育てていくのです。

そして、ハナから自立する気のない依存的な人は、あなたがどうなろうと世界には存在します。黙っていたらみんなあなたに配慮して、依存的な人があなたを避け、あなたを傷付けないように動いてくれるわけではありません。そういう人が近寄ってきた時はこうです。

依存的な人への現実的な対処

直感で依存されそうだと思ったら、絶対に近づかない(直感を絶対に信じる)
「重い」と感じたら、すぐに離れる
ネガティブな感情を伝える
うそ笑いや表面的な共感など、相手に合わせない
「NO!」とキッパリ伝える
怒る

自分を守るために、相手を傷つける覚悟をしてください。

あなたは、自己否定・自己肯定感の低さから、自分の意見を主張することがおそらく苦手かと思います。自分が悪いと思いがちですが、あなたの気分を明らかに害すような人は、あなたにとって「合う人」ではないのです。

正しい・間違っている、という世間一般の善悪で考えないでください。この世には、いいも悪いもありません。そもそも、例え人として正しくない行いのように感じても、あなたが「幸福な気分でいる」という当然の権利を侵害する人を許してまで、大切にする正しさなど一切必要ありません。

これからは、正しさではなく、好き嫌いを大切にしてみてください。それって、感情的で平等ではないと思いますか?

その通り!

プライベートの人間関係は感情で繋がるものですから、平等である必要なんてありません。もっと感情を出していいのです。感情を感じないようにしているから、こういうおかしい出来事が起こるんです。(※ここは最大のポイントなので、自分がいつも我慢し、感情を抑制しているという現実に気づいてくださいね。)

あなたは、その人が好きですか?一緒にいて楽しい、軽い、ワクワクした気持ちになりますか?そうでない場合は、あなたにとって必要な人ではありません。ひどい態度を取って、嫌われても良いんです。むしろ嫌ってくれた方がいいのです。

あなたの行動をどう思うか、どう受け取るかは、相手が決めること。それは、あなたが心配することではありません。相手がどう感じるかという自由と責任を、相手から奪わないでください。好きになれないのなら、思い切ってバッサリ切りましょう!

好き嫌いを大切にしている人の感情

「一般的にはいい人なのかもしれないけど、私はなんかきら〜い!」
「私に対して好意を持ってくれているんだろうけど、私は興味な〜い!」
「私が居なくなったら孤独になるのかもしれないけど、そんなこと知らな〜い!」
「っていうか、さっきの言い方ひどい!すっごい嫌な気持ちになった〜!」
「悪気はないんだろうけど、超むかつく〜!」
「理由はないけど、なんか全部いや〜!」

あなたに必要なのは、こういう無責任で、自由で、自分の感覚にただただ素直な状態です。まるで子供のようですよね。

大抵自立型はいい子で真面目ですから、相手の立場や感情がよく見えすぎるせいで相手に強く出れません。境界線が甘いので、自分が傷つくことも相手を傷つけることも苦手です。

ですが、もしもあなたが我慢して嫌いな相手と付き合ったとして、それは一体いつまで続くのでしょうか。一生我慢し続けられるなら良いです。しかし、こちらが我慢すれば、いつか相手がこちらの思惑に気づいていい人に変わってくれるのでしょうか?今までの人生で、どれくらいそういったことがありましたか?一度よく考えてみてください。

どんなに我慢したところで、結局上記が本音ですから最終的には関係は壊れます。むしろ、負の感情が増幅し、怒りや恨みなどの負の感情が手に負えなくないほどふくれあがる可能性だってあります。

優しいのに依存されていない人は、自分の弱さ(自分にも感情があり、間違いもおかし、人も傷つけ、全員を平等に扱えず、嫌いな人から遠ざかりたいと言う感情を持っていること)を受け入れることがきちんと出来ている人です。

「どんな人にも平等には優しくできない」「自分は完璧ではない」ことを知り、受け入れることです。

依存的な人は、おおよそ遠回しな表現の裏にある「NO」に気づきません。境界線がないので、「相手も自分と同じ気持ちだろう!」と、かなり無責任かつ自分に都合の良い受け取り方します。中身が幼児なので、裏を読めないのです。

多少心が痛むかもしれませんがこういう人はどん底に行くまで懲りませんし、言ったところであなたが思うほど傷つきません。そもそも、すでにあなたは境界線を越境されているわけで、それを「やめて」ということで相手が傷つくのならそれは仕方のないことではないですか?

相手に「NO」ということは、意図的な暴力ではありません。当然の権利かつ健全な主張であり、相手をさらなる加害者にしないための、むしろ親切な警告です。

そして、依存的な人たちは基本的に人の気持ちが分からないか、最初から考えるつもりがないので、相手が離れていったくらいで(人を傷付けた…自分は最低だ…)なんて思いませんし反省もしません。

思ったとしても、すぐに「相手だって悪い、おかしい」「相手がなぜ怒っているか分からない」「許してもらいたいから、しつこく食い下がろう」など、根本的な自分の心の問題に直面するのを避けるため、思考のすり替えが起こります

本来なら、自分のどういった行動が相手を傷つけ改善すべきなのかを検討しますが、彼らは絶対にしません。それをやったら「自分が自分の思っているような素晴らしい人間ではなく、自分は不幸で問題だらけであること」に気づいて、ついでに幼少期の苦しかった思い出に向き合わなければいけなくなるからです。

残念ながら、人間はそんなに簡単には変わりません。今日嫌な人は、今の今までその性格で数十年生きてきたわけです。周りの人を傷つけようが、人が離れていこうが、そのやり方で押し切りなんとか生きてきたのです。そんな人が、あなたが相手を嫌ったくらいで反省し、来年ましな性格になっている可能性はほぼないと思ったほうがいいでしょう。

むしろ見捨てることで、この人が自立するチャンスを与えてあげませんか?依存する人たちだって、本当は心の奥底では、今の自分がおかしいことに薄々気づいています。

あなたがこの世で行う全て、愛なんです。それが表面的には傷つけることでも、きついことでも、少なからずあなたが相手を傷付け損なおうと意図したものでなければ、あなたはあなたの意思や感情を持つ権利があるのです。

怒りであなたを守ってください。あなたには、あなたとして生まれた以上、あなた自身を守る責任と義務があります。自己犠牲はいずれ、どこかで他の誰かを再び犠牲にします。そして、その犠牲者は、あなたより弱い子供か、優しい人、もしくはあなたを愛してくれる人でしょう。

あなたは自分がされた嫌なことを、自分を大切にしてくれる誰かにするという現実を受け入れられますか?

自己犠牲はメリットがないどころか、いつかどこかで今あなたがされているような加害行為になって誰かに牙を剥きます。だからこそ、今やめましょう。

自分を尊重できない人は、相手に対しても真に尊重はできません。そうすると対等な人間関係は結べませんから、これも修行だと思ってあなたのブラックな一面(わがままで依存的な側面)を解放しましょう

「私だってたまには人に甘えたい」「私だって優しくされたい」「周りの人になんとかしてほしい」「もう頑張りたくない」「嫌なものは誰がなんと言おうが絶対に嫌!!!」

そんな自分の本音を、あなただけは絶対に無視しないであげてください。

あなたのブラックな一面は、存在を認めて気持ちを理解してもらえれば、安心して悪さをしなくなります。だから、否定せずに受け入れてあげてください。

あなたはブラックな側面を受け入れてなお優しい人ですし、そうすればあなたに合う人だけ寄ってくることになるので、人間関係に悩むことも減ります。

あなたが取る責任は、あなたの幸福だけでいいのです。

まとめ

あなたは、相手に優しくすることで、相手に与えることで、どこか相手を変えようとしていませんでしたか?それは愛ではありません。

その人のありのままを愛せないのなら、感謝して手放しましょう。「NO!」と伝えるのです。

未熟な親の元に育ち、悲しく辛い気持ちは未だにあるでしょう。過去を無かったことにしろとは言いません。ただ、あなたが幼少期に得ることができなかったもの(安心できる子供時代や親の愛)の代わりに、素晴らしい才能に恵まれ、特殊な能力を得ていると言うことにも気づいて欲しいのです。

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