
人間関係めんどくさい…もう疲れた…
職場や学校や趣味などの友人関係。
最初はいいけれど、段々と面倒くさくなってくる…そんなことってありませんか?
人間が持つ悩みのほとんどは人間関係だそうです。人間関係は、その取扱や距離を間違えると、精神的にとてもしんどくなり、時には自分を害すものとなってしまいます。
しかし、生きる上で人間関係はどうしても発生してしまうもの。
どうして人間関係で疲れてしまうのか、そしてどうすれば人間関係で疲れずに済むのかをこの記事ではご説明しています。
人間関係に疲れる理由は?

人間関係に疲れる理由は、主に大きく分けて2つあります。まずは「面倒」「疲れる」、そんな風に感じてしまう原因を見ていきましょう。
いい人を演じている
まず、一つ目は「いい人を演じているから」です。
「そんなことないけどなぁ」と思う人は、無意識でしてしまっているのかもしれません。しかし、人は自分がありのままで居られる環境で「面倒」や「疲れた」と感じることはないからです。
そして、世の中で人間関係が辛くない人たちは、総じて「いい人」ではありません。これは恋愛でもそうなのですが、本当に幸せな恋人関係や結婚をしている人は、結構わがままです。
このわがままさは、別の言い方をすると「自分を大切にすることができる人」です。自分を大切にできると言うのは、自分の要望を守り、個性を大事にできているとも言えます。
例を出して説明します。あなたの周りにこんな人はいませんか?
これは全て個性です。そしてその個性は、ある方向から見れば欠点ですし、他から見ると長所です。
全ての個性は、いいところでもあり、悪いところでもあります。人によってその長所をどれだけ生かし、自分の他の個性とバランスを取っているか、精神性が高いかと言うのは人それぞれではありますが、基本的に長所には欠点があり、欠点には長所がくっついています。
あなたが嫌いなあの人の欠点を全然気にならない人もいるし、あなたが好きな人を嫌う人もいます。あなたがどんなに頑張っても一定層には嫌われるし、一定層には好かれます。
要するに、根本的には「この世には、完全ないい人も悪い人もいない」と言うことです。
そう言うふうに出来ているのですが、いいひとをやってしまう人は、親の刷り込みや過去の経験から「いい人で居なければ、この世界で生き残っていけない」と言う思い込みが出来てしまっています。そうして「社会的に正解とされる振る舞い」を優先することによって、自分を犠牲にしています。
しかし、いい人をやって多少の得することはあっても、あなたはもう辛いのではないですか?もしそうなのだとしたら、このまま死ぬまで現在の生き方やルールを採用して生きていくことはできないわけです。まずこの事実を真剣に考えてみてください。
これを無理やり継続していると、鬱病や癌などの病気になる可能性もあり、間違いなくあなたを傷付けます。そして、そんな風にならずとも幸せに生きていける方法は他にありますので、まずはそちらを選んでみませんか?
我慢している
いい人をしている人は、ほぼ間違いなく嫌なことを我慢をしています。
「本当はやりたくない」「本当はそう思ってない」「本当はそういう人じゃない」
なのに、相手がそれを求めるから…その方が波風が立たないから…相手や環境を優先し、あなたは自分を犠牲にして居ます。これは表面的には上手くいっていますが、実際には上手くいっていません。本当にうまくいっている状況というのは、自分も相手も心地いい状態です。
そして、こういった考え方は「大人」「社会的なもの」と思われています。こういった譲歩が、本人の苦にならない程度であればそうなのですが、それ以上になるとただの犠牲です。そしてこの犠牲を、あなたはどこで学んだのでしょうか?
これは幼少期、親の顔色を見て自分の態度や意見を選んだことがある人が取る態度です。本当は、大人ではなく子供の振る舞いだったのです。
他人軸になっている
そもそも「いい人」とはどんな人でしょうか?
それは、自分ではなく他者の価値観で生きている人です。他者の価値観とは、その集合体である「世間」など含まれます。
「こういう時にはどう振る舞うのが正解か?」
「相手が望んでいることは何か?」
自分の感情より、世間や常識、他者の感情を優先してしまう癖がある人は、他人軸で生きています。
他人軸で生きるというのは、「上手くいけば他者に好かれる」というメリットがありますが、反面常に他者から認められることを求めるため、自分が苦しくなったり相手を追い詰めたりします。これは承認欲求と呼ばれるもので、強くなりすぎると依存的になり、構ってちゃん化したりSNSのいいねを獲得するのに死に物狂いになったりします。
自分が好きなこと楽しいことをするのではなく、他者の好きなことやりたいことに合わせて生きることになるので、つまらないし疲れてしまうわけです。
更に言うと、疲れる上に本当のあなたのいいところも出ていないので、本来のあなたを好きになってくれる人も寄ってきません。周りはいい人であるあなたを便利扱いするか、没個性のあなたを好きになる人だけしかいないため、あなたと合わない人が集まります。
他人軸で生きると「嫌われない」メリットはありますが、本当に合う人とは出会えない。また、仮面を被っているが故に嫌いな人間に好かれると言うデメリットが発生して、人間関係は複雑になっていきます。
自信がない
そして、こうなってしまう原因はどこにあるかというと、あなたの根本的な自信のなさにあります。
「自分は無条件で愛される」「そのままでいい」と思い込んでいる人は、自分に自信がありますので、誰かに無理矢理合わせることをしません。だからこそ、本当の意味で人に好かれます。しかし、あなたはありのままの自分では誰にも好かれないと思っています。
あなたとこの人の違いは、そう思い込んでいるかどうかだけです。そして、そう思い込む原因は、やはり幼少期の親との関係です。あなたは幼い頃、あなたが思ったまま口にしたり、やりたいことをやりたい!と言う度、親に怒られたり邪険にされてきました。罪悪感を刺激するために、困ったり弱いふりをする親もいたでしょう。
子供は親がいないと生きていけませんので、親の顔色を見て、合わせることで生き残ろうと考えました。しかし、あなたはもう大きくなっているはずです。もし中学生や高校生だとしても、意思のある人間ですので、自分の感情や意思を大切にする、そう決めてください。
例え、世間がどう言おうが、あなたが嫌なことは嫌なんです。感情は理屈ではないのです。当然犯罪や他人を意図的に傷付ける行為をするのは問題外ですが、あなたが嫌なことを嫌だと感じること。これは無料でできますし、他人を物理的に傷付けることではありません。
それを実行するか、相手に伝えるかどうかは別として、自分のありのままの感情をまず認めて、自分を守りましょう。あなたは本当はどう思っていますか?
あなたに才能がある
人間関係で疲れてしまうことの原因には、あなたに素晴らしい才能がある可能性があります。
日本という国は、島国です。島国は土地が狭く、他国に行くには絶対に船が必要でした。ですから、気軽に「じゃあ私は別のコミュニティに行きます」という風には出来ません。そのため、日本は調和を大切にする国になりました。人間性が合わなくとも、本音と建前を駆使して生き残ろうというわけです。
そういう世界では、出る杭は打たれます。出る杭が居ることで、その世界の均衡や安定が崩されるからです。
だからこそ日本では、自己主張や強い個性、突出した何かは嫌われます。いずれその人がステージに立って成功すれば、そういう人も平気で手のひらを返すのですが、自分のコミュニティにいるのは嫌なわけです。
「そんな特別なものは何もない」「自分は平凡だ」
そう思っている人も、他の人から見たら「何か変だ…」「他と違う」と感じるところがあるのです。そして、この変なところ、違うところというのは、他の人が持っていない才能である可能性があります。
どちらにしろ、人間は自分と同じレベルの人間と組織を作り助け合っていく動物です。テストの成績が40点のグループに80点の人が混ざれば、勉強をしていなくとも知性に差があるため、いじめられます。
実際、中小企業にいるといじめられたのに、大企業に転職するといじめられなくなった人もいます。あなたがもし今の環境が辛いのなら、優れているにしろ劣っているにしろ、あなたはその環境のレベルに合っていない可能性が高いです。
あなたから見て周りはどう見えますか?
学校などは逃げ場がなく辛いとは思いますが、その生きづらさは、あなたには他の人が持っていない何かがあるという証拠なのかもしれません。
人間関係に疲れた人におすすめの考え方

このところ、日本の価値観もだいぶん変わってきました。「お一人様」という言葉がよく聞こえるようになり、Youtuberなど、一人旅や一人遊園地、一人焼肉の動画をUPすることも多く、一人でいることのハードルはここ数年さらに下がったように思います。
あなたが人間関係で疲れてしまうのは、あなたに合わない価値観をあなたが積極的に大切にしてしまっているからではないですか?
もう古い価値観は手放してください。あなたには、あなたが心地いいような人生を生きる権利がありますので、あなたがいいな!と思う価値観を選びとっていいのです。
以下、今人間関係が大変なあなたに、おすすめの価値観です。
友達って必要ですか?
まず、根本的に友達って必要ですか?もちろん中高生は、いまだにそれ以外の人たちと比較して、この問題に『YES!』とは言いづらいかもしれませんね。
しかし、私が思うに友達って居てくれると嬉しい事も沢山ありますが、デメリットも多いと思うのです。私が思うメリットとデメリットはこうです。
誰かと感情を共有する楽しさがある
辛い時に話を聞いてもらえる
趣味が合う場合は楽しくおしゃべりができる
外出や外食など、一緒に過ごすことで思い出ができる
ひとりではないと感じる
関わりたくない時にも、関わらなければならない
興味のない話を聞かされる可能性がある
一人の時間が減る
相手に合わせなければいけなくなる
他人に影響を受ける
友達と一緒にいるということは、自分ひとりでは得られないような喜びを体験できる事もあれば、自分一人だったら感じなかったような嫌な体験をすることがあります。
これはこのどちらに価値を置いているかによるのですが、私は「嫌なことをしたくない」気持ちが強く、他人に合わせてまで自分のやりたくないことをさせられたり、聞きたくない話を聞かされて不愉快な気持ちになりたくないという考え方です。
逆に、自分の話を聞いて欲しい場合は、お金を払ってカウンセラーなどの専門家に相談しますので、ほっといてくださいというスタンスです。
私は本を読んだり旅行をしたりひとりで遊ぶのが好きなので、友人といるメリットはあるけれど、そのデメリットを帳消しするほどの良さではありません。また、1人の時間が減ると自分の自己実現に宛てられる時間も減りますので、中途半端な距離の人は特に(非常に冷たく感じられるかもしれませんが)邪魔とすら思う時があるのです。
だから私は、そもそも友達って必要ないと思います。
本当の友人は、人生のうち片手で足りるほどしかできない
これは、私が叔父から教えてもらった考え方です。
「この世の中には、友達になれる人は片手で足りるほどしかいないし、2〜3人いれば十分奇跡的な出会いと言える」
と彼は言いました。そもそも過去良いとされてきた「友達100人できるかな」的思考は、知り合いだと思います。会って話せる、雑談できる、その場で盛り上がれる、ただそれだけの顔見知りです。
しかし、友達は知り合いではありません。自分の本音を話したり、本当に一緒に居て心から楽しめる人たち、感情で繋がっている人のことです。
そもそも人間はただの一人も同じ人はいませんので、本当の意味で他者と分かり合えることは未来永劫ありません。しかし、歩み寄ったり、自分と考え方・感じ方が近い人と共感し合うことはできます。
あなたがどんな友人を選ぶのかはあなた次第ですが、もしもあなたの人生で1人でも本音を話せる人がいれば、あなたはめちゃくちゃラッキーです。私は友人は居なくても生きていけるという考え方ですが、自分の理解者が1人でも居れば、それは奇跡的なことで十分に幸せなことだと思っていいと思います。
そして、前項の友達といるデメリットを強く感じてしまう私のような人間にとっては、合わないけどなんとなく仲良くしている友人と付き合う時間と辛さが我慢出来ないので、それをデメリットだと感じない人のみを友人だと思っています。
相手が辛い時、無条件で話を聞こうと思える人、相手が好きな話なら、自分が興味のないことでも興味を持って聞ける人、などです。
要するに、世間一般で言われている友人は知り合いであって友達ではなく、知り合いと仲良くしようとするから辛くなるのではないでしょうか。もし仲良くするとしても、「この人は知り合い」と思って距離を持っていれば、仲良くできない苦しみから少し脱出できます。
根本的に、相手を好きではないのに仲良くしようとするから、人間関係に疲れてしまうのではというのが私の見解です。
我慢を一切しない人になる
「人間関係に疲れてしまう理由」でも書きましたが、我慢をすると人は疲れます。
例えば、職場のあの人や、友達、話していると楽しいし好きだけど、段々しんどくなってくる。これは距離感の問題です。あなたが心地いい範囲を超えてしまうと、どんなに好きな人も嫌いになってしまいます。
ですので、「あなたのことが嫌いなわけではなく、もう少し接触回数を減らしたい」などうまく相手に伝え、自分の心地よい距離感を相手に教えてあげてください。
反して、職場で我慢してしまい、無理して仕事を引き受けすぎたり、みんなの顔色を見て残業(という名の暇つぶし)をしているのだとしたら、仕事は定時内だけ引き受けるキャラ、定時になったら即帰宅キャラになる決意をしてください。
これは最初は反発も来るかもしれませんし、ストレスになるかもしれませんが、毎回そうしていると、そういうキャラになるので周囲は疑問に思わなくなります。「あの人はそういう人だから」で終わるようになるのです。あなたの主義や価値観を周囲に徹底して伝えていれば、それに反発してくる人もいなくなります。
会社の飲み会などもそうです。私は、飲み会には年に1回参加するかしないかというレベルでしたが、そこまでではない人も、行きたくないのに我慢していく飲み会ほど無駄なものはありません。最近は、社会情勢上減ってきたと思いますが、「やりたくないけれど我慢してすること」は後々を考えたときに、絶対にその人のためにも周りのためにもなりません。後々そのストレスが他のところに出てくるからです。
嫌なことを我慢してやって後で不機嫌でいるより、嫌なことは断り気分良く仕事をする人の方が、最終的には信頼される人になります。
境界線をはっきりさせよう
他人軸(相手がどう思うか感じるか)に合わせて生きている人は、境界線が曖昧なことが多いです。
相手が喜んでいたら嬉しい。これは、まともな精神を持った人なら、基本的にみんなが感じる感情でしょう。しかし、どんな人にもそう思える限界はあります。そして、中には他人軸で生きすぎて、自分の感情がわからない人がいます。
どんなに人のために生きるのが好きであったとしても、あなたが人間である限り、あなたにはあなただけの感情があるし個性もあります。
目の前の人と境界線をはっきりさせる癖をつけましょう。コツは、目の前の人と自分の間にはっきりと線を引く感覚です。仮に相手が怒っていたとしても、それは他人の感情であなたのものではありません。無意識に他人の領域に立ち入るのをやめ、他人は他人として、切り離して考えてみてください。
ちなみに、自分の気持ちが分からない人は、心の中に強い怒りが眠っています。まずは、安全な場所でいつその怒りが生まれたのか、ゆっくりと考えてみてください。
相手から嫌われてもいいし、傷つけてもいい
相手を気遣いしすぎてしまう人は、「人に嫌われること=ダメ」、「相手を傷付けること=ダメ」というルールを持っている人が多いです。
ダメならまだしも、生きていてはいけないとか、生き残れないと思っている人もいます。そんなことは全然ありません!人は、人に嫌われても生きていけます。
もちろん、人に意地悪なことをしたり、意図的に加害行為を行うことはまた別の話になるのですが、相手に嫌な思いをさせないために自分が犠牲になったり、嫌な思いをするのは健全な人間関係ではありません。もしも、誰かがあなたを傷付けることがあったら、勇気を出して「いやだ」とはっきり言いましょう。
あなたが我慢をすると、相手はあなたによって加害者にされてしまうことがわかりますか?一時的に相手を傷つけるとしても、相手に自分を傷付けさせないことが、長期的に見た時に相手に対しても思いやりのある態度になります。
相手とあなたは別の人間ですから嫌われることがあっても良いし、自分を守るために相手を傷付けてしまうことがあるのは仕方がないことです。
嫌われても、傷付けてもいい。これを大切にして受け入れておけば、結果相手から嫌われることも、相手を傷付けることも逆に少なくなっていきます。
人と比べる事が、いかに無意味で価値がない事かを知る
昔は、何歳でこういう会社に就職して、何歳で結婚して、何歳で家を買って…などという幸せの典型例がありました。しかし、今やもうそういう価値観は、はっきり言って旧時代的な考え方とされています。
現代では、自分が居心地いい場所を自分で選ぶ、その大切さがYoutubeやブログなど至る所で発信されていますが、人間関係やグループの中にいて辛くなってしまう人は、無意識に人と比べる癖があるのではないかと思っています。
あなたは自分をどう思いますか?人より劣っていると思いますか?
しかし、何度も言うように、あなたと同じ人間はこの世にいません。あなたと性格も経験も能力も何もかも違う他人と比べたところで意味がないとは思いませんか。
人は誰しも得意なことと不得意なことがあります。そして、得意なことを生かして生き、不得意なことは誰かに任せる、頼る。そんな風にして生きていくようになっている、ただそれだけです。イチローと日本伝統工芸の職人さんの人生は比べられますか。家族を守るために生きたサラリーマンと、事業で破産したけれどその後復活し事業を再開した社長の人生はどちらが尊いですか。
もちろん影響を与える範囲は違うかもしれません。人により、人間性や精神性の高さも違います。しかし、その人の人生をよくよく見ていくと、本当に色々なことが起こりその人の糧になっているんですね。
あなたが「失敗したかのように見える人生」も、間違いなく今後のあなたのためになるように起こっています。人生に失敗はありません。そして、こんなに個性溢れた人たちを比べることそのものがナンセンスであり、それこそ意味のない考え方です。
映画を見ていると、「普通に見える人の人生も波瀾万丈だな」と思うことはありませんか?あなたの人生も同じです。他の人と比べる必要のない、ただ一つの人生です。だからこそ後悔しないように、あなたを大切にして生きてください。
そこはあなたにとって相応しい場所ですか?
悩んでいる人の多くは、そもそも自分に合わないところを選んでいる人が多いように感じます。本当は素晴らしい人なのにブラック企業を選んだり、一人が好きなのにやたら社員同士仲のいい会社に受かってしまったり…
これはたまたまではなく、自己評価が歪んでいる場合に起こりやすい現象です。
自分のことを「くだらない」と思っている人は、そんな自分に相応しい場所をわざわざ探して自分をそこに置きます。そして、行こうと思えば行ける可能性がある場所に、チャレンジすることもしません。自分なんかダメだと思っているので、最初から自分で扉を閉じています。そのことに気付いていないのです。
あなたを大切に扱ってくれない場所や人は、あなたに相応しい場所ではありません。当然、相手との境界線を引くことや、相手軸から自分軸に考え方を変えるなどあなたにも必要なことはありますが、そもそも論として、今の場所はあなたに合っていますか?
合っていないのならば、あなたはあなたを大切にするために、その場から離れてもいいんですよ。我慢して、嫌なのに…そう思いながら嫌なことをやればやるほどフラストレーションが溜まり、もっと状況は悪くなり、自分に対しての自信が無くなってしまいます。
生き方や所属する場所は、あなたが選んでいいのです。あなたはあなたに相応しい、心地居場所に自分を置き合わないものは手放し、決して誰かのせいにせず自分のことは自分で幸せにしてあげてください。
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人間関係で一番重要なこと

一番重要なことは、「自分をよく知り、大切にすること」これ以外ありません。他者との関係なのだから、相手を重視するべきでは?そう思う方もいると思いますが、自分のことを思いやれない人は他人を真の意味で思いやれる人にはなれません。人は自分にしていることを相手にもします。これは絶対のルールです。
自分に厳しい人は、人にも厳しいです。
自分を尊重している人は、人のことも尊重できます。
自分に優しくできる人は、人に優しいのです。
人間関係が苦しい人は、まずあなたがどういう人間で、何を欲しているのかはっきりさせることをおすすめします。
何を望んでいるのか分からない人は、自分で自分にそれを提供することも出来なければ、周囲の人もどう扱えばいいか困るのです。
ですから、まずは自分がどういう人間で、どうされたら嬉しくどう扱われると嫌なのか、何が好きで何が嫌いか、考えてみてください。
そして、それが周りからどう見られようと、大切にします。どうしてもそれを主張できない時は、心の中で自分に共感してあげてください。
「会社行きたくないよね」「あの人の振る舞い、傷付くよね。わかるよ」
あなたがあなたの1番の親友になれば、自ずと外の世界にもあなたを理解してくれる人が現れます。あなたの心をあなた自身の愛情で満たすことが出来て初めて、人と対等な付き合いができるからです。
ここまで読んで気付かれた方もいるかもしれませんが、人間関係に疲れてしまう本当の原因は、外にいる人たちではなく、あなたの心の中にあります。
逆に言えば、あなたが変われば周りも変わりますので、問題そのものがなくなるか、もしくは問題がある人や環境に見切りをつけて遠くに行くことができます。
人間関係に疲れている時は、本当に心が疲労してしまっている状態なので、ゆっくりと休んでください。そして、その時間には、出来るだけ嫌なことをやりたくないことはせずに、あなたがしたいことだけして食べたいものだけ食べましょう。
そうして元気になったら、変えられること変えられないことについて考えてみてください。あなたはいつからでも変わることができます。
神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
人間関係で悩みやすいあなたは、もしかしてあなたはHSPではないですか?特に社交性が強いHSEですと、自分の矛盾に悩みやすいです。